第一章  中国三大エポック

(03)   賛 関羽・・・男のなかの男。

 三国志とは、魏、蜀、呉の三国が繰り広げる壮大な中国歴史物語です。
(私の大好きな三国志)


                                   寄稿 土佐保子


 関羽の腕が毒矢に当たり、そのことを聞きつけた呉の名医、華佗が関羽の腕の骨をナイフで削ります。
見ていた側近達は荒治療に目をそむけますが、当の関羽は平然としています。
この治療中、碁は中断しています。




 関羽は知勇を兼ね備え、義に厚い人物像として描かれています。

敵である魏の曹操の命ごいに、その昔、曹操に恩義を受けたことを思い出し、そのまま曹操を見逃します。

 その他にも、敵将の馬足が折れて落馬した時、敵将の首をはねることができたにもかかわらす、
それをいさぎよしとせず、改めて馬を乗り換えよと言って立ち去ります。

 敵将が「いまどき、珍しく男気のある男」と関羽を絶賛します。

呉の呂蒙に養子の関平ともども首をはねられ、関羽の首を曹操に送りつけられます。
呉は関羽の首を魏の曹操に送りつけることによって、蜀と魏とが戦うことを仕組みます。

 魏の司馬懿仲達はこれを見抜き、蜀に恩をうるように魏の国あげて関羽の葬儀を行います。
曹操は「首になっても二国を震え上がらせよるわ」と関羽の偉大さを口走ります。


日本男児は年々、軟弱になっていくと聞きます。
女性陣から言わせれば「昔のような日本男児がいなくなったから、
女がイヤでもしっかりするのよ」と鼻息荒くおっしゃる。

この日本に、関羽のような男性がいるなら、
「男のなかの男。あなたのために尽くします」と、女性陣は健気に尽くすのだけどなぁ。




関羽は、信義や義侠心に厚い武将として名高くまた『演義』での普浄の逸話などから、
民衆によって様々な伝承や信仰が産まれ、信仰を高め、また後の王朝によって神格化されていった。

その関羽を祭ったほこらが関帝廟の始まりである。

また、関羽は(塩湖で知られた解県の出身である為)塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、
義に厚いとされる事から商売の神として祭られた。この事に起因して、
そろばんの発明をしたという俗説まで生まれた。そのため世界中に華僑が散らばっていったときに、
商売が繁盛する様にとその居住区に関帝廟を立てた。

そのため世界中の中華街などで関帝廟を見ることが出来る。