莫愁・勝棋楼

                                                    高野圭介

バンザーーイ 
2日目のフィナーレに先立ち、碁吉会のいやさかを願って、万歳三唱しなさいと榎本さん。
宮垣さんと杉田さん、そして私と三人が前の壇上へ呼び出された。
バンザーイ、、、バンザーーイ

その前口上・榎本さんの話である。

万歳は中国で「ワンセイ」韓国へ渡って「マンセー」。
日本で「バンザイ」それが「マンザイ」と変化した・・・と説明があった。

「ワンセイ」のこと 
私はたちまち「ワンセイ」に関するエピソードが頭に去来した。
これを話そうと、言いかけたものの、固有名詞が表れない。地団駄踏んでしまったものだ。

一両日経って思い出しながら、ようやく到達した「ワンセイ」のこと。

 莫愁湖と勝棋楼


かって、私が中国は南京の町外れにある莫愁湖公园に勝棋楼を訊ねたときのこと。

明の初代皇帝朱元璋こと明の高祖と中山王徐達が碁を打った。
打ち終えて、高祖が見たのは、
盤上にくっきり浮かんでいる「万歳」=「ワンセイ」という文字だった。


感動した高祖は莫愁湖の畔に「勝棋楼」を建て、「国手」の称号を与え、
食い扶持の石高を贈って遇したという。

呉清源の莫愁 
江崎誠致さんの『呉清源』の中に、「莫愁」にふれたくだりがある。

紹介すれば、
「呉清源さんの著作のなかに随筆『莫愁(ばくしゅう)』があるが、
明の太祖(朱元璋)が元勲の徐達に打ち負かされたのが南京の莫愁湖であり、
この湖の中島に「勝棋楼」が建てられている。



あるいは南斉の莫愁の伝説もあるという。

この著作の題名はこのエピソードからではなく、時代を二千年もさかのぼり
舜帝の死に臨んだ二人の妃が悲嘆の歌を歌い終わって、
この湖に身を投じたという故事にちなんで名付けたものである。」


序文・莫愁

三木 正 




莫愁

『碁スケッチⅡ』序文。1994年上梓

三木 正




青年期の呉清源の随筆集『莫愁』がある。
当時、菊池 寛、川端康成などが絶賛した。

モシュウかバクシュウかと尋ねたのに対し、呉さんは中国語で
モシュウと発音し、「南京郊外に莫愁湖がある」と答えてくれた。

その湖に身を投じて名を残した莫愁を悼む武帝の詩があるが、
民謡に武帝の名を借りたのだろう。

私は莫愁の二字が好きである。
文字通り「愁ナシ」か、薄命の佳人の連想からか、反語的に「無限の愁」なのか、
良寛の名筆「君看ヨ双眼の色、語ラザレバ愁ナキニ似タリ」にも同じ戸惑いがある。

高野さんの晩年は碁に浸りきっている。まさに愁なしである。
しかし、時に思うことがある。高野さんにとって碁はまた「無限の愁」ではないか。と。
「愁を知るは愁の初」である。憂愁を愛する人は、

安易な人生を送る人よりは遙かに高い境地にいる。