碁のメカニズム

                                                    高野圭介

将棋の本質 
佐藤康光九段は喝破した。

「羽生善治は将棋というゲームの真理を探究する心が強くなって
きたように思う。・・・ゲームをするとき、本質を見極めようとする。
・・・中略・・・
ゲームがどういうメカニズムで成り立っているかを深く考える。
そして、羽生さんの戦型はオールラウンド型になってきた。」

 日経新聞・文化欄「羽生さんの強さの秘訣」2005年10月13日(木)より

 その羽生さんはいったい将棋をどう捉えているのだろう。それは分からない。
しかし、盤に向かうて、本質を直視していることは確かだ。


厚い薄い


 さて、私たちが碁盤の前に座る前に、
碁の本質と対話して打てるよう、碁のメカニズムを考えてみよう。

 碁は地の多いさを争うのだが、囲うても地にならない。
どちらかと言うと、石を取って地にするものである。
あるいは、石を攻めて地を作るものである。

つまり、
弱い石を作っては薄くて勝ちにくい。
かといって、強い石ばかりでは効率悪く、甘くて勝ちにくい。

薄い石は軽いことが前提として、存在価値がある。
厚い石は敵のど真ん中にあって、値打ちが出てくる。
 どのような碁形で布陣し、どのような進行が望ましいかを
その局面に合った進行でなければならないのだろう。


逆も又真なり  
大まかに言って、
小林光一の決め打ち、武宮の宇宙流の二極があるとしよう。
全く逆の発想かと思っていた。

 ところが、苑田勇一は喝破する。

「実は、両者とも同じことをやっているのである」と、
「逆も又真なり」と言い切るのだから、凡人には分かりにくいこと夥しい。

 この二律背反の世界に一つのメカニズムを求めようというのだから、
玄玄深淵と一口に言っても、見当も付かないというのが本音である。


一貫性


一局の碁は頑固なまで、棋風の一貫性が要求される。

あれをしながら、これもする・・・。
そうでなくて、いったん中の碁を目指したら、右顧左眄しない。
頑固なまでに徹底して、中の碁に徹するのが望ましい。

辛抱して一つの姿を保持するのである。
これが、又、難しい!