棋界三天才との接点 高野圭介 |
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プロとの接触 | 70年近くも碁を打っていると、 二度とは同じことは起きないが、同じようなことは惹起している。 不思議なことに、 ご指導を受けるという嬉しいご縁を戴いた関西棋院所属プロの先生は、 オールジャパンのタイトル獲得者では、橋本宇太郎、橋本昌二、 本田邦久、吉田美香、結城聡、坂井秀至、の方々。 日本棋院では、坂田栄男、藤沢秀行、井山裕太。 著名な先生方ともなると、もう何十倍もの先生方とご指導も含めて、接触がある。 |
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天才との三接点 | 明治から大正・昭和・平成・となると、一千人近い先生方の中で、 「天才」を冠する名棋士は二人。橋本宇太郎、坂田栄男。 そして今をときめく井山裕太は誰が見ても「天才」そのもの。 幸い、この三天才との素晴らしい接点が未だ記憶に新しいので記します。 |
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天才・宇太郎 |
宇太郎先生とは1977年から先生晩年の永いおつきあいであった。 高野エッセイ「天才宇太郎・達人の眼力」にるる詳説しています。 私のオリジナル作品「エクセーヌの碁」も 先生のお言葉から出た産物でした。 「私が呉清源布さんとはあ初めて打ったのは布の碁盤でした。 布の碁盤も味のある良いものですよ。」
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天才・山部 |
たまたま東京は市ヶ谷の日本棋院で、 当日の指導碁を勤められていたのが山部先生でした。 いざ対局で、三子を敷いて訊ねました。 「済みませんが、棋譜を取らせて頂いて良いでしょうか?」 オウム返しの返事です。 「あなたほどの方が棋譜は要りますか?」と返ってきました。 したがって、並べ直してもらってからの棋譜です。
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天才・井山裕太 |
碁吉会発展の中で目につく一つに、 天才少年として噂の高い井山裕太君の参加がある。 井山君の大成を見届けるのも会員相互の楽しみである。 ただ、私には井山君が我々と同じ路線を行く人とは思えないのである。(中略) 井山君も既にアマとは別の世界に身を置いているようである。 碁を生涯の職業としたことを振り返って喜ぶ日が近いと確信する。 「碁を楽しむことでは我々の方が上だ」と、 その意味で、井山君に挑戦しつづけることは、 共に碁吉会のメンバーとして名を連ねた人達の特権である。 「醍碁味」2000年碁吉会・刊行 はしがき 三木正から抜粋 |
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井山少年の天才碁 |
私は中盤以降は必死で打ち進め、終局のときはヘトヘトで、 どちらが勝ったのか分らない状態だった。 この一戦を通じて、少年には2度とこの作戦は通用しないであろう事を悟った |