あとがき

空論・夢論のおわりに

                                            高野圭介

夢遊する空論
「囲碁はどこで出来たか?」を模索している内に、
いつのまにか「どのように出来たか?」に興味が湧いてきた。

どこで、どのように、という模索の研究に懸命に手探れど、
その確証への糸口さへ掴めていないのが実情である。

したがって、空論・夢論の中に夢遊するしかなかった。

宇宙から
とてつもない古い昔から人は盤上ゲームに取り憑かれた。
その中の一つが囲碁である。

人は頭の中で考える前に、高い空中に手を伸ばして、宇宙から掴んできた。
人は広い土地の果てから、オリンポスの山々から運んできた。
人は深い海の中に潜って糸口を探ってきた。

古代文明の頃の話である。



夢論のテーマ
 よく聞かれるのは「碁は中国で創られたそうですねぇ」というのが最も多い質問です。
そうと言われていますので、そうだろうとは思いますが、そうでないかも知れない。
そこで、「それではどこで、どのように」となるのだが、

本文の内容は「碁はどのようにして創られたか」と言うことです。
本文では
全く新説を展開しています。それが夢論のテ-マなのです。

 インド発の協賛者  
「囲碁は三千年以上前にインドからチベットを経由して中国に入り、
その後、千数百年前に日本に伝来したという説が有力とされる。」

「石の持つエネルギー」 村瀬 有著 プロローグ p.2

著者は囲碁を科学と哲学のジャンルで追求しようと試みた数少ない囲碁探求者である。
その著者が囲碁の生成について、このような発言をされているからには
何らかの資料に基づいた発言であるものと推測する。

仮に、この主張が安永一らからの単なる受け売りにしても、
この推測は当たらずとも遠からず。私の推測と余り変わらないからである。

 独り言の新説
この一文が公表して皆様のお目にかける価値があろうものなら、
遊戯史学会が年二回、東京と大阪で催されているようなのです。

漢訳して中国の人と一緒に考えてもいいし、世界に問うときは
英訳してインタ-ネットで発信するのがよい、ともサゼッションを頂きました。

独り言の新説では荷が重くて、問題にならないと、思っています。
ところが、前節の如き協賛者もあって、心強く感じています。

碁は流動中
、このように取り組んできましたが、こゝに来て、
また、別のことがテ-マとなって浮上してきました。

 それは「碁は日進月歩というのは当たらないかも知れないが、
碁というゲ-ムそのものが創造されてから、今日までず-と変化してきた。
 つまり「碁は過去から未来に向かって、生き物のように流動している」というテ-マです。

それは次の「囲碁形成の本質論」に展開します。