文明の継続関係を示す年代表


メソポタミア文明とエジプト文明やインダス文明との交易

                                                   高野圭介

 多くの交易ルート
この一覧表を見ると、四大文明といっても全く同時進行というものでもないし、
かと言って、全く独立していたというものでもない。

多くの古代文明が交易や戦争、占領を通じて相互に影響しあっているものです。
んで、意外とそれぞれの文明が存在していた時期を誤認していることも多々ある。


それぞれの文明の間には
多くの交易ルートが無数に存在し、
われわれが想像している以上に活発な交易が行われていたようです。



メソポタミア文明と
インダス文明との交易


 古代メソポタミアで重宝された石にラピスラズリという瑠璃色のきれいな石があります。

この石を原産地のアフガニスタン北東部から、
メソポタミアに運ぶ道が「ラピスラズリの道」と呼ばれています。
その道は、ラピスラズリだけではなく、金・銀といった貴金属が運ばれたようです。

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ラピスラズリの道 ヘラート/アフガニスタン     ラピスラズリ(瑠璃)の原石

 この道は、トランス・エラム文明と呼ばれる商人都市の交易ネットワークであり、
このネットワークに連なる形でインダス文明や、海上ルート上にペルシャ湾岸の
古代交易都市が開発されていったようです。


 メソポタミア文明と

 エジプト文明や
インダス文明との交易

 
政治・経済

メソポタミア文明の貿易の交易範囲は広大で、
エジプト文明やインダス文明と交易があったことも推測される。
シュメールやバビロニアでは食物をはじめとする必需品を貯蔵して宮殿や都市の門において分配し、
バザールで手工業品の販売を行なった。

タムカルムと呼ばれる身分型の交易者が存在し、仲買人、代理人、競売人、保管人、
銀行家、仲裁人、旅商人、奴隷取締官、徴税吏などを担当した。

バビロニアにおいては対外市場は存在しなかったため、
キュロス2世は、ギリシア人の市場制度を理解せず、非難した。
また、ハンムラビ法典には、損害賠償、負債取り消し、報酬、等価概念についての記述がある。

都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、人民や奴隷を支配する階級社会ができた。
王のもとには莫大な富が集まり、大規模な治水や灌漑、あるいは壮大な神殿や宮殿が作られた。

ギルガメシュ叙事詩に登場するギルガメシュ(Gilgamesh)は、
紀元前2600年頃のシュメール人の王である。


古代文明表

実は多くの古代文明が交易や戦争、占領を通じて相互に影響しあっているものです。

意外とそれぞれの文明が存在していた時期を誤認していることも多々。