中間の総括

囲碁起源の仮説提起

                                   高野圭介

堯・舜創作説
「碁は中国で出来たんでしょうか?」という質問によく出会う。

当の中国では「堯舜杯」というアマ棋戦があって、
この堯・舜創作説が当然の史実となって認知されているところである。

増川宏一は中国で極端に古い時代に囲碁の起源を求める見解には
異論を唱えている。《文献03》

囲碁史の嘘

「すざら碁仙」の編纂の時(1992年)、ご投稿頂いた

増川宏一の「囲碁史の嘘」p.376に驚きの眼が輝いた。
 


これまでの囲碁史に取り組まれた先駆的な努力は評価できるものの、
まだ充分に学問的な高い水準にあるとは言い難い。
それ故、囲碁史には嘘ではないまでも、かなり史実から
かけ離れた物語が伝えられている。
第一は囲碁の起源についてである。

以下、かなり詳説されている



15年の月日
私には思いもよらなかった卓論に心が躍った。

この囲碁史研究家が疑問を契機に、高度な知的ゲーム・囲碁はどのように
創作されたか?という囲碁起源の問題に取り組んだ。
その1997年から今まで15年経っている。

チベットで作られた?
その間、安永一翁が「チベットで作られたのでは?」と問題を投げかけた。

私が現地調査も兼ねてチベットに赴き、現地の方々と碁を囲んだ。
その話を水口藤雄さんに事前に伝えたら、成果を待つと、返事が来た。

その成果は、残念ながら、資料らしいものは何も出てこなかった。
そんなに簡単に答えは出ないものだった。

古い事柄・事物
たまたまKCC(神戸新聞カルチャーセンター)で、
鈴木利彰元神戸大学教授の西洋史講義が始まった。

人類科学や歴史学上で解明しにくい昔の古い事柄・事物に出遭ったりすると、
それは北インドでのことでと済ましてしまっていた。
それが昨今では、メソポタミアではという落としどころとなっている。」

というような講義があった。




「チャトランガに

囲碁の祖型を見る

という仮説


そこに登場したのが「チャトランガ」である。

盤上ゲームというものは五つに大別できる。主なものは三つ。

双六のような早さを競う
競争ゲーム
将棋・チェスのような升目の中を動いて駒の取りっこをする
戦争ゲーム
囲碁のように升の線上に駒を並べて囲い合う
包囲ゲーム

さて、
囲碁は不思議にも戦争ゲームの性質を温存したままの
包囲ゲームという複雑な性質を持っている。


チャトランガはチェスとチェッカーの語源と見た私は
一つの欠落している部分に注目した。

つまり、
チャトランガは戦争ゲームとして、西へ行ってチェスになり、
東へ向いて将棋となった。また、同じ根源でありながら、
駒が白黒の石と変わって、線上を動いたとき、チェッカーとなった。
これが
線上を動き、盤上ゲームが東へ移ったとき、
ひょっとしたら、囲碁になったのでは??という閃きが走った。

これが「チャトランガに囲碁の祖型を見るという仮説の事始めである。」


韓国で発生した

’囲碁’ ??


2008年2月12日発表の一つの論文がある。

韓国のキム・ダルスーという韓国・明知大学校囲碁研究学科修士は
卓論を展開されている。

囲碁に関する文献はゲームに対する十分な知識を持たない
人たちによって書かれ、また解釈されてきた。
従って、
文献は不完全または不正確であるという仮定の下に再検証する必要がある。
例えば、韓国語と中国語で、棋、博、弈、その他盤上ゲームの数々が
同じゲームだとみなして、区別も付かないまま論理を展開した結果、
韓国で発生した’囲碁’が中国に伝播された。」というような
論理が展開されたりしている。云々」

絵空事の仮説


仮説というものは、事象や法則について説明するために仮に設定された説のこと。
今はそれまで知られていなかった事象や法則を架空の、空想のといった論を
展開するので常識的には奇異なはずである。
しかし、将来の法則・理論の卵である可能性を含んでいる。

今回提起した「囲碁起源の仮説」は
初めから絵空事。どこまで行っても絵空事。
願わくば、大方諸賢のご高評を待ちたいと思う。