囲碁生成の核心に迫る

仮説 囲碁の祖型は北インドで生まれたチャトランガか

(01)あらかじめ の お話


                                               2012年10月末日    高 野 圭 介

小山靖男九段の卓論

2012111日から、新・読み物「囲碁生成の核心に迫る」を連載します。

これは「囲碁の祖型は北インドで生まれたチャトランガか」がテーマで、
従来の堯舜説もさることながら、西方の胡の国との関わりも否定できない。

 人類の生誕から文明の発生、そして、囲碁の生成と連なるあらすじです。

 元々「碁とは何か」「碁はどういうものか」を掴んだとき、一気に碁が分かってくる。」
この卓越した小山靖男九段の卓論から没入した成果でもあったのです。 

画期的な「碁とは何か」

いつであったか「碁とはいったいどういうゲームか?その正体を掴んだとき、
その人の棋力はグンと伸びる」と言う関西棋院・小山靖男九段の卓論を拝聴した。

私にとって、想像もしなかった新鮮な言葉に胸は高鳴った。

 やがて、私は碁とは何ゾやと、取り組んでいた。
糸口はいつの間にか
三つのジャンルに分かれていた。

1.碁そのものが構築された全体像の解明。

2.碁の発生からどのような進歩を遂げて今日があるか。

3.古今東西の碁の話から、碁の構造解明の糸口は拾えないか。

 囲碁曼荼羅  
1.碁の解剖図として、「囲碁曼荼羅」に一定の成果を見た。




cf:「宍粟の碁」p.166.

2.碁の発生・創造に、堯舜の古代皇帝の創作とされる定説に疑問を持ち、
膨大な資料から北インドに生成したチャトランガにこそ祖型があるのではと、
考えるに至った。その発想から「囲碁祖型の一考察」を上梓した。

3.碁に関する諸賢の見聞や資料から「碁スケッチⅠ・Ⅱ・Ⅲ」を纏めた。

碁スケッチ



 囲碁祖型の一考察

「碁スケッチⅠ」は1996年に刊行し、次いで同Ⅱ・Ⅲ」と陽の目を見た。



更に1997年に「囲碁祖型の一考察」の上梓に踏み切った。
同時に「囲碁曼荼羅」も同時発表した。

 この2年間に碁に関する諸問題に没頭し、一定の成果を得た積もりである。
残念ながら当時のパソコンも ms-dos のフロッピーから抜けきれず、
一太郎はまだ虚弱であったので、パソコンでの保存が文字化けして難しく、
再現不能に陥っていた。

それが幸運にも、高性能となったパソコンとワープロ・一太郎が充実してきて、
いつしか復元を奇跡的に可能にしていたのが分かった。

 「ペルシャ(胡)以前は

「北インドでは・・・」が主流

ところで、中国では、ハッキリ分からないことを「胡説」という。
日本で言う「・・・だそうだ。」英語の「They say that・・・・」中国では「胡説・・・」

胡説は「胡の国では・・・であったらしい」で、胡の国はどうも北の匈奴か、
西のペルシャかその近辺の国を指していた。しかも、
胡の国はとても文明が高く、お手本の国であった。胡が付けば、分からぬほど
遠い外地の産物のこと(胡弓、二胡、胡椒、胡蝶、などなど。)を指していて、

現在では、歴史上(世界的に、もちろん日本でも)文化人類学で、
いよいよ不明のものは、「ペルシャ(胡)では・・・」で済ます傾向がある。

面白いことに、ペルシャがしゃしゃり出てくるまでは、
どうしても曖昧で不明なことは「北インドでは・・・」が主流であった。
注:鈴木利章教授の講義から。

 新・読み物 にご期待を

ここに目新しい画期的な「碁とは何か」を問うとき、
碁の生成を中国の堯舜説でなく、ペルシャ乃至北インドにも求めて論及したが、
更に新しい眼で、改訂を加えながら、諸賢の講評を得たいと思うに至った次第である。

 2012111日から、日を追って発表しますので、ご期待下さい。