囲碁生成の核心に迫る


仮説 囲碁の祖型は北インドで生まれたチャトランガか


(02) はしがき (上)  大胆な憶測・仮説提唱


                                         2012年11月1日  高 野 圭 介

囲碁史の嘘
 始めに「盤」ありき。その上に駒が乗せられた。
駒は一定のルールに則って動いた。
ゲームの生誕である。その一つが囲碁を形成していった。

 私が囲碁に対する思いは『宍粟の碁』『碁スケッチ』と上梓の後、
『すざら碁仙』の編集出版に携わっていたときのことである。

『すざら碁仙』の原稿、増川宏一著『囲碁史の嘘』に接したとき、
只ならぬ興奮を覚えたのだ。

いわく、「・・・囲碁についての歴史研究も未だ貧弱と云わざるを得ない。
・・・囲碁史には嘘でないまでもかなり事実から離れた物語が伝えられている。
・・・・第一は囲碁の起源についてゞある。・・・・」と。
《文献01》

尭、舜の囲碁創作
 『囲碁史の嘘・囲碁起源の謎・・・』はしっかり私の脳裏に食い込み、
やがて、根を下ろし、どんどん広がっていった。

 古来、囲碁は中国の皇帝、尭、舜の手によって創られたと記されている。
そして、一般にそのように信じられている。

中国にはアマの棋戦『尭舜盃』があって、
伝説も神格化されている。そうであろうが、そうでないかも知れない。

 つぶさに見ると、囲碁は古代人類の厳しい生活環境のある一つの集団の
ごく限られた上層部の支配階級の中に、
或いは自由な発想に生きる人達の中に盤上遊戯が自然発生的に生じた。

それらの内の一つが囲碁の祖型となった。とは言っても、
もともと囲碁であったのではなくて、永年の間に、何かの盤上ゲ-ムが
工夫され、改良されながら囲碁を形成していった。定着し親しまれ、
移動し工夫され、改良を重ねられ、ようやく今日に至ったものか。

 深化する囲碁
 今は完成されて、というのはとんでもない。碁は今なお流動している。
将来の碁はまた今の碁とは違ったものの筈である。

 例えば「コミ」。コミの一目、いや半目違うと、碁の打ち方が違ってくる筈だ。
碁自体が変わってくる。「時間制限」についてもそうである。

「自殺手」や「スミの曲がり四目」などの取り扱いも難しい。
「手入れ問題」など、ル-ルの基本的な問題の如何によっては碁が変わってくる。

 更に、コンピュ-タ-が碁を打ちかけてもう久しい。
いつ、人間を超えるか、深化は著しい。

このように碁はまだまだ深化の真っ直中にあることはお解り頂けたと思う。


 囲碁の解析

 この変化は今に始まったものでなく、碁が、いや碁らしいものがこの世に
生成されてこの方、止めどなく変化し続けている。

 そのように想定したとき、現在の碁の解析、将来の碁の予測、
その認識の基盤から変化の元の姿、その源はと逆に過去に遡ると、
それも止めどない。とどの詰まり、「どのようにして碁が出来たか」という
素朴な疑問に突き当たる。

 悲しいかな、私には極め付きの特別な資料というものはない。
囲碁に関する雑学しかない。手当たり次第の書物だけが頼りで、
それらを私の囲碁への洞察とを見えざる糸で紡いで、
それぞれの時系列における囲碁の状態・機能をイメ-ジする。
そのような手法では充分とは言えないが、それしかなかった。



囲碁を考える人々

 囲碁評論家・林裕は大村幹雄『囲碁民話学・序文』に、
囲碁学のジャンルに囲碁史学、碁の形式論理学、囲碁構造論、
形態論とも言うべきル-ル理論、囲碁美術・・・を挙げている。《文献01》

林道義は『囲碁深層心理学』を書いた。《文献02》

 増川宏一『囲碁史の嘘』と科学的な論評を発表。《文献03》

 大竹英雄は碁の美学を説き、実践する。

 尾立源二は『囲碁哲学』を提唱した。
囲碁の玄妙な深奥の謎を哲学として解きたいと提唱した。《文献04》

 いみじくもアメリカからセオドル・ドレンジ氏が『すざら碁仙』に寄稿され、
提唱された「The Philosophy of GO」に私はいたく感動した。《文献05》

「碁は多面性のある活動である。ゲ-ムとしての実践的な価値。
ゲ-ム以上の何か科学的な価値。調和を求める芸術的な価値。
人生を無とする象徴的な価値。
他にも碁のコンピュ-タ-化とか、盤の広さを考えたりいろんな価値がある。
囲碁に親しみ、取り組むとき、とにかく碁仇に勝つ満足感以上のもの、
ゲ-ム以上のものがあるのを知って、『碁の哲学』としてそれを追求したい。」と。

大胆な憶測・仮説
 本文の『囲碁祖型の一考察』の立脚する視点は囲碁学の
一つのジャンルである『史的形態学』と言うのだろうか。

 私の余りにも大胆な憶測の端緒と展開を示そう。
 ある日のテレビの放映で、 BC 4,000 年とも 4,500年に栄えたという
メソポタミア文明のコンピュ-タ-・シュミレ-ションを見たとき、
驚異の都市文明が整然と現れて、どんなに驚愕したことか。

 私は子供のときからず-と、「世界の四大文明はナイルのエジプト。
チグリス・ユウフラテスのメソポタミア。インダスのインド。
黄河の中国」と、唄い文句のように覚えていたものだ。

メソポタミア 


 ところがである。
人類がアフリカの東部に発生し、とにかく北へ移動した。
最初の定着地は中近東。そう。メソポタミア以外何処であろう。

河の間という意味のメソポタミアにこそ
人類最初の文明・都市国家が発祥した処であろう。

 ロンドン銀行が The Bank of Banks ならば、メソポタミア文明こそは
史上最古の The civilization of civilizations とでも言うべきであろうと思う。

 やがて、メソポタミアで「ウルの盤」が発見され、
盤上ゲ-ムの盛んであったことも知った。

盤上ゲ-ムはその組立、戦術、戦略とかいろいろな
要素が理論的に仕組まれて、合理的な思考で遊ぶものだ。

どんなゲ-ムでも「面白い。楽しい」が前提である。
それには玄妙の味が潜んでいて、メンタルな面が必ずある。
シュメ-ル人がゲ-ムを盛んに楽しんだとは驚くべきことであった。 

チャトランガ 
 やがて「チャトランガ」と言うゲ-ムの一つの祖型を知った。

前ペ-ジの図ように、二人制のチャトランガは
将棋と囲碁が同居している盤上遊戯である。しかも、
盤はチェスの盤の広さで、盤中に四角の升目に斜めの線が入っていて、
将棋ないしチェスの駒が升目の中に、
碁石のような円い同質の駒が線の上に置いてある。

 ただし、この不思議な「チャトランガ」と称されるゲ-ムは
いろんな遊び方が想像されているのだろう。

現在日本将棋連盟に保管されてあるが、私が見たときは
四人制のチェスのような駒の配置であったが。

 ともあれ、チャトランガは西へ伝わりチェスとなり、チェッカ-となった。
それが一方インドないし中近東からチベットを通って改良を加えられながら、
将棋の形成を試みながら東洋に入ってきた。

「チェスのようで、囲碁のようで」
   初期の二人制チャトランガ。ただし、駒は二種類のものが置かれている。
(ライプチッヒ国際チェス大会展示品)《文献06》