第二章 チャトランガ (三) 囲碁は包囲ゲ-ムか 高野圭介 |
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線上に置く 「包囲ゲーム」 |
さて、いよいよ包囲ゲ-ムの囲碁である。 包囲ゲームとは一般に駒を升目でなく線上に置くもので、 基本的には一つの駒を左右上下から挟んで、動けないようにする、と言うものである。 囲碁は包囲ゲームの範疇に入り、 それらの中で最も複雑で深奥な頭脳ゲームと言われている。 |
囲碁は 「包囲ゲーム」 |
確かに本来囲碁は地の多少を争うのだが、地を囲うのを急いでは勝てない。 相手の石を囲い、封鎖し、動けなくする。封鎖されゝば目を二つ確保するとか、 セキなどにして死なない「活」という状態を保つのを強いられる。 或いは相手の石と取りっこして捕獲して打ち上げる。 実戦では「石の取りっこ」の前に「石を繋ぐ。包囲する」という動きが重大である。 「石を切断される」という状態がなければ「石を取られる」ことはない。 だから、碁の概念を作るために「碁の手ほどきは地を作った形から 教えるべきである」と林道義は新しい提案をしている。《文献17》 すなわち、囲碁は「地を囲うゲーム」でなくて、本質的に「石を囲うゲーム」なのだ。 「包囲して戦うゲーム」なのである。しかも升目の中でなく、線の上を動く。 従って、囲碁は「包囲ゲーム」であろう。 |
囲碁は 「戦争ゲ-ム」 |
一方、「囲碁は戦争ゲ-ム」と主張する人もいる。 囲碁は結果として「囲った地の多い方を勝ちとする」ゲームである。 ところが「石を取る」と取り跡が地になり、取ったアゲハマは 相手の地の中に埋めて、地の数を減す。 この限りは石の取りっこをするので、戦争ゲームである。 いわゆる遊びの war game とは違って、ゲーム分類上の名称である。 確かに、囲碁の起源を考えると、当初は、四方から囲うのではなく、 挟んで相手の石を取るルールではなかったかと思えないか。 |
碁の祖型論 増川宏一 |
増川宏一は「囲碁のゲ-ムは盤上遊戯の発展の歴史からすると、 最初はもっと少ない升目の盤であったと考えられる。 また、多くの古代の盤上遊戯がそうであったように、当初は四方から包囲するのでなく、 挟んで相手の石を取るル-ルであったかも知れない」と言っている。 更に「囲碁の起源は多くの古代の盤上遊技がそうであったように、 当初は四方から包囲するのではなく、 挟んで相手の石を取るルールであったかも知れない。 あるいはーもちろん、推定の域を出ないがー、最も単純な四角に対角線を 引いただけの包囲ゲームから発展してきたとも想像される」とも言っている。 《文献11》 |
戦争ゲーム論 | H.J.R マレー は囲碁は同数の駒(石)で互いに囲み合うゲームなので、 戦争ゲームのカテゴリーに加えている。 趙治勲は『ザ・マッジク・オブ・碁』のイントロダクションに碁の起源や歴史を述べているが、 その中に「囲碁は西欧の最も魅惑的なゲ-ム、 チェスと同じ範疇に属する。共に戦争ゲ-ムである。 高い水準の戦略的思考が要求され、 戦術的熟練を発揮する機会が与えられる」と言っている。《文献18》 |
石を取る | これを論証するに、碁を教えるとき「四つ目殺し」から教える。 「ダメ」が詰まったら打ち上げなければいけない、というルールである。 「石を取る・捕獲する」楽しみは「地を囲う・包囲する」喜びに勝り、 現実に地を囲んでばかりいたら碁は勝てない。 石を切られて、攻められたり、取られたりするのを最も恐れるものだ。 石を取れば碁に勝てるとしたものだ。 |
取ると囲うと 同時進行 |
「石を繋いで相手の石を囲い、地も囲う」という碁への取っつきが比較的難しいのは、 一つは、碁には「石を取る」という概念と「地を囲う」という目的が同時進行する処にある。 「地を囲う」だけの手は「素囲い」と言われ、目的が一方だけなので、ヌルイとされる。 ところが、つぶさに考えると、碁の進行は、初めに「石を取る」ことからあると気が付く。 そして石の封じ込めを輻輳しながら、戦いと地の囲いの両面で打ち進まれることになる。 但し、碁は同じ反復する動きで「石を取る」のを禁じた「劫」を導入し、 「石の取り方」に制限を設けたことによって、 いよいよ玄妙なゲームとなっている。 |
包囲ゲームか 戦争ゲームか |
果たして、囲碁は包囲ゲームか、戦争ゲームか。その結論。 「囲碁はチャトランガの戦争ゲ-ム(升目の中の)から生成されたが、 本質的には今はれっきとした包囲ゲ-ム(線上を動く)である」 |