第二章 チャトランガ (四) 囲碁祖型の核心 高野圭介 |
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ルーツを同じく する仮説 |
「チェス・碁・将棋・チェッカーはルーツを同じくする」という 仮説を提唱したい。 憶測を逞しくすれば、北インドで発生し、メソポタミア文明ないしは その近辺の所産になるあるゲ-ムの祖型が改良されながら、 やがて東へ北へ、或いは西へと移行されていったものという仮説だ。 |
チェス生誕 |
いま、目を戦争ゲームの代表・将棋・チェスに移せば、 西欧に敷衍していった「チャトランガ」と呼ばれるゲームを見ると、 西方ペルシャへ伝わり「シャトランジ」と名付けられているが、(逆輸入?) すでに「チェス」とあまり変わらないタイプのゲームになっていた。 因みに現在の「ペルシャ将棋」は「シャトランデッシュ」と呼ばれている。 ペルシャからアラブへ移行し、更に近東からヨーロッパにと 人々を魅了して一気に広まっていった。《文献11》 |
囲碁伝播の 3ルート |
「チャトランガ」の東方への伝播のル-トは三つある。 一つは、ハルミチ-タリム盆地-ロ-ラン-敦煌-西安のいわゆる〈シルクロ-ド〉。 もう一つは、北インドからチベット、昆明、成都を通って、洛陽から黄河沿いに中国へ。 そして南中国から東中国へ、ないし朝鮮、日本のいわゆる秘境〈昆明ル-ト〉コ-ス。 更に第三のルートは北インドからガンジス河、南インド、ビルマ、タイ、 ラオス、マレ-半島、ベトナム、スマトラ、と東南アジアに伝わり、 中国に入るという、ゆわゆる〈海のシルクロ-ク-ド〉である。 |
将棋とチェス | 東に移行した「チャトランガ」は盤・駒も増えて「大象棋」となり、 大象棋乃至はその同類が東へ伝わって将棋となり、更に東へ伝わり、北上し、各地で 「一つの国に一つの将棋がある」と言われるほど変化し、分化し、定着していった。 今も盛んな中国将棋・朝鮮将棋・日本将棋を見るに、違うと言えば全部違うが、 この三者は驚くほど似ていて、「ルーツは同一」というのは疑う余地はないように思う。 同時に、勿論、将棋は「チェス」に酷似している。 但し、相手から取った駒を、自分の駒として使うル-ルは日本独特で、 他に類がなく、日本将棋は世界中で最も優れた競争ゲ-ムと言えよう。 |
増川宏一説 | 増川宏一は囲碁の起源について、こう言っている。 「あるいは・・・もちろん・・・最も単純な、四角に対角線を引いただけの 包囲ゲ-ムから発展してきたとも想像される」と。《文献11》 こうして見ると「石を取るチェッカ-」と、「石を取る囲碁」は 違うように見えて、元は同じではないか、と疑問が湧いてくる。 |
チェッカーと碁 | このことは何を暗示しているのか。 どうだろう。ある一つのゲームが、東へ行って碁、 西へ行ってチェッカーというのは考えられないか。 もしかしたら、・・・もっと少ない升目の盤で・・・というのを加味すれば、 「チェスと将棋・チェッカーと碁は【駒を取る】という動きについて、 それぞれ似ている」ではないか。 |
大村幹雄説 |
囲碁とチェスはいちおう別系統の盤上遊戯であると大村幹雄は主張する。 「形からすればチェスの駒と囲碁の石の相違は際だっており、 チェスは駒が美術品と言っていいほど具象性に優れており、 碁石はどんなに粉飾を凝らそうと限度があって、対蹠的な簡潔さである」《文献01》 その通りだが、盤上の美術感覚だけで違う、と言うのも私はどうかと思う。 |
謎解きの紐 | いま謎解きの紐に手をかけようとする。 囲碁の祖型がありありと見えて来ないか。 この小さくて、対角線の引いてある盤こそ「チャトランガ」でなくて、何であろう。 ひょっとしたら、「この四者はルーツを同じくしている」と思えないか。 私は今、心の躍る大きな謎と疑問と暗示の中にいる。 |
二分された チャトランガ |
この話は暴論であろうが、私は又、こう変えたい。 「イラン高原辺りで生まれたチャトランガは、少なくとも BC1,000年代に、 更に以前に、ア-リア人が創り。古代インドに、ペルシャに移行していた」と。 しかも「チャトランガは二分され、一つは囲碁に、 更にもう一つは将棋になって東に北に移行していった」と同時に、 「西へ行って、チェス及びチェッカ-となった」とも。 |