第二章 チャトランガ (五) 碁と将棋のドッキング・ゲ-ム 高野圭介 |
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七国象戯 |
碁・将棋をドッキングしたゲームがある。 すなわち「七国象戯」である。 これは宋の司馬温公(司馬光)が古局象戯から創作したと伝えられている。
盤は19路で碁盤と同じである。駒も円い形で白の組や黒の組もあり、 升目の中でなく線上の十字路に置く。 この限りは包囲ゲームである。これは碁と将棋を合わせたようなもので、 駒の運びは普通の将棋と同じようであるが、7 つの組に分かれて、 それが入り乱れての綜合戦で、あたかも連碁のようで(連碁は敵味方は決まっているが、 どれが敵か味方かは判然しない)そうして普通将棋のように一本勝負の王将詰めでなく、 王将を取ることの他に取った駒を数えて、取った駒の点数で勝ちになることもある。 このあたり碁の目数を数えるのに似ている所だ。 |
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広象棋 |
日本でも、享保時代の学者・荻生徂徠が 中国のある象棋に手を加えて創作したという「広象棋」というのがある。
これが又、碁に似ていて、盤は同じく19路。駒は円く碁石のように白黒各90で、 丁度碁石の半分の駒を矢張り線の上で戦うのである。 でも、勝敗は将棋のように王将を取られれば負けであるが、その時、中軍と旗という駒が 残っておれば未だ負けにならず、中軍が成ると師という駒になり、 旗を取られても戦いは続行する。如何にも実際の戦いの感じである。 |
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ペナルティ |
面白いことに、 ゲームの途中に違反したり、仁義に悖るような駒の動かしかたをしたり、 重要な駒を取られるなどしたときは「広象棋」と称して酒をどんどん 飲まされる、といったことを渡辺英夫が言っている。《文献19》 |
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碁と将棋の 合体ゲーム |
碁と将棋の合体ゲームが、後世創作されたということは、実に面白い。 異質のものがドッキングして、なおゲ-ムが出来る。 こんなことが果たしてあり得ることか。 初めから包囲ゲームと戦争ゲームとが別々に生成されていたものではなくて、 一つのものから派生して生じていたものの立証でなくて何であろう。 私はここに見えざる糸に結ばれた「ゲームのビッグバン」に遡りたい。 |
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参考文献 | 第二章 参考文献 《11》増川宏一『盤上遊戯』 1978年 法政大学出版局 《17》林道義『囲碁入門革命』 1996年 誠文堂新光社 《18》三浦康之『碁・このアジア的経営パラダイム』 1995年 株式会社ウエッジ 《19》渡辺英夫『星輝庵棋録』 1980年 星輝庵囲碁普及会 《01》大室幹雄『囲碁の民話学』 1977年 せりか書房 《20》『日中囲碁ル-ル・どこがどう違うのか』 1987年 日中アマ囲碁友好会 《21》今村俊正『世界史散歩』 1996年 近代文芸社 《22》斉藤信治『哲学初歩』 1973年 東京創元社・創元選書 |