第三章 囲碁の伝播

(18) チベットの碁
                                                  高野圭介

安永 一 説
 今、チベットの碁に着目したい。

チベットの碁の置き石が辺の第3線に白黒6個づつ、12個配置されていた。

この数字が、12進法に則っていることからして、
また、西域の他の文化の影響なども考え合わすと、
さらに60進法の宇宙観を持つメソポタミア文明の影響を考慮に入れて
追求しないとつじつまが合わない
」と安永は言っている。《文献25》

林 耕三 説


林耕三は『盤上的図案』の中で「碁はなぜ、どうしてできたのだろう」と自問し、
チベットのダライラマのチベット密教における曼陀羅
(宇宙・人間の心を具象化したもの)に碁の祖型があるのか
も、と想定した。

その依って立つところの思想を「上手が先に打つということは、師から弟子に
悟りの境地を伝える手順であり、配石は仏、神々の名残ではないか」と
宗教とのかゝわりの憶測を展開している。《文献26》



更に東漸!

出土の17路盤



話は、先に飛ぶが・・・1953年、中華人民共和国で、
漢代の望都(今の北戴河)の古墳から 17道289路の石製の碁盤が発掘され、
上記の記録が実際あったことが証明された。


注:北戴河は、豊かな中国人や北京・天津の外国人たちによる別荘地。
今も中国共産党幹部の高級避暑地として知られている。

同根の祖
 今こゝに一つの問題が提起される。

中国で 17道289路の石製の碁盤が発掘され、記録が残されていることと、
チベットの碁の共に17道であったことの、両者の符号一致をどう見るか?

私は囲碁の祖型が同根と言いたい。


賢人の19路に定着
渡辺英夫は『坐隠談叢』にこう言っている。

「因みに、中国では漢魏以前の碁局は 17道289路であったが、
唐に至り初めて19道361路に改められたものゝようだ」
と。

恐らく、
中国の山中の賢人たち(仙人?)が碁盤を天体に形どり、
17路から19路361路の碁盤に変化し、定着させたのではなかろうか。