第三章 囲碁の伝播 (18) 中国山中で熟成か 高野圭介 |
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昆明の棋盤山 | 美味なるワインが眠れる美女のごとく熟成されるように、 囲碁は昆明は棋盤山で、或いは峨眉山の深山で、 何百,何千年と気の遠くなる時間に熟成されていった。 その狂言回しこそ 賢人、仙人、童子らではなかったか。 春の囲碁夜桜笑めり 夏ぞ打て寝ぬ星と吾 秋紅葉老いを変えたや 冬冷えに負けず論ぜむ 中山典之《文献16》 |
仏教東漸 | 中国山中を忌避して素通りしたものゝ代表は仏教である。 インドのヒンズー教から分派したとも言われる仏教は南の道を通って 小乗仏教となり、北伝した一派は大乗仏教となった。 小乗仏教は各国で変化し、 セイロン・ビルマ・タイと海のシルクロードに根を下ろしていった。 大乗仏教は在野仏教を基盤にガンダーラや西域諸国を経て中国に入った。 |
将棋の伝播 | 将棋と仏教の伝播とは酷似する。 日本将棋会館の説明によれば、海のシルクロ-ドから 各国の将棋に変化していったのと、一方はAD600年頃中央アジアから モンゴルに入って「シャタル」と呼ばれているモンゴル将棋がある。 それが後にAD1,600頃ロシアからモンゴルに「チェス」が持ち込まれ、 「シャタル」はチェスと同様の動きとなった。そこで、チェスは「シャタル」となり、 本来の「シャタル」は「モンゴルシャタル」となっている。 |
未完成の囲碁 | こゝが未完成の囲碁の全く違うところだ。 仏教も将棋も囲碁の通った中国山中は避けて、平らな道のりを 通過しているが、囲碁は山中で練られて変質して、生まれ変わっていった。 |
痕跡残さぬインド | 因みに、発祥の地であるインドには釈迦の生まれ故郷という他、 仏教らしいものは影を潜めてしまった。 現在のインドには 碁も将棋も勿論のこと、元祖チャトランガの痕跡も残っていない。 思うにヒンズー教がイスラム教との死闘のもたらした悲劇というのだろうか。 |
東西の文化の 根本的な差 |
省みるに、 西欧のキリスト教の在り方は余り変質しないで普及してきた。 チェスもオ-ケストラもそれぞれの楽器も同様に変わらないで西進した。 しかし、東進した文化は殆どが国毎に変身していく。 これが洋の東西の文化の根本的な差と言えそうだ。 |