第三章 囲碁の伝播

(20)  東漸の原始民族音楽

                                            高野圭介

インド・ルートも
 更に、碁を含むいろんな盤上遊戯は仏教や交易と共に、東へ中国へと渡っていった。

そのルートはインドからは玄奘三蔵法師の中央アジアルート・ビルマからの昆明ルート・
ガンジス下流からマラッカルートなどが考えられる。

 中国は東夷・西戎・南蛮・北狄に囲まれ漢民族は自ら中華と称し、おさまりかえっていた。
とは言うものゝ、外敵に対する備えこそ肝要であったろう。



『日本の伝統音楽の展望』 著・西川泰次(医師であり、音楽家でもある)

 時系列
  4世紀までは古代歌謡を中心とした原始民族音楽時代。
次いでインドに起こり、中国を経て朝鮮から伝わった声明を中心とした
5~8 世紀の飛鳥・奈良の外来音楽時代。
輸入された音楽を日本人の感覚や好みに合うようにアレンジして
作られた 9~12世紀の平安の外来音楽消化時代。
続いて、12~14世紀の鎌倉時代は民族音楽勃興の時代と移っていく。

 田楽と猿楽  
中でも田楽と猿楽についての著述が面白い。

 特に「猿楽」は西域地方のペルシャからシルクロ-ドを経て、中国に伝わり、
随唐時代に我が国に伝わった「散楽」が基になり、
猿真似のような喜劇的な所作を意味する。

軽業・曲芸・幻術・物真似などさまざまな種目がある。

 散楽から能へ  
 散楽のこのような滑稽業や低俗な芸は、後に狂言・茶番・にわか等に発展し、
曲芸・軽業等は田楽法師に、幻術・奇術等は傀儡師(くぐつし)に伝えられた。

 鎌倉時代になると、今様の歌謡や、白拍子の舞い踊りの要素が取り入れられて、
猿楽能に発展し、やがて、室町時代に観阿弥・世阿弥により、
幽玄の美を取り入れ、総合芸術としての能を完成する。

能のル-ツ 
 ここに、はっきりと能のル-ツをペルシャに遡らせる。



東西の文化の
根本的な差

 

 つまり、西欧では楽器が国から国に伝わっても、
少々の改良が加えられても殆ど変わらないまま伝わり、
単独の演奏もさることながら、オ-ケストラとして合奏されてきた。

 アジアに伝わった楽器はどちらかと言うと、各国別々に改良されながら、
それぞれの伝統と個性を誇るような楽器に改良されると共に、
独特の音楽が奏でられるようになった。

例えば、楽器で言えば胡弓(二胡)と三味線はそれぞれの国のもので、
似て非なるものだが、川上さよ子の話では合奏して、良く合うのだそうだ。

また、琵琶の弾き方の相違・・・日本が二拍子、韓国は三拍子というように。

 東西へ音楽の伝播
 神戸シルバ-カレッジの講義に「国境を越えた心のネットワ-ク」という題で、
神戸国際協力センタ-の鵜岡誠一の話に、思いがけないことを聞いた。

神戸シルバ-カレッジの講義に「国境を越えた心のネットワ-ク」という題で、
神戸国際協力センタ-の鵜岡誠一の話に、思いがけないことを聞いた。

「メソポタミアに生じた音楽は西へ行って、オ-ケストラになり、
東へ行って民族音楽になった」
と。

参考文献 
《22》林裕『新囲碁全書』    1975年 金園社

《23》安永一『碁の発掘ー幻の源流を訪ねて』   1967年 人物往来社

《14》渡辺英夫『中国囲碁散歩』

《24》林裕『囲碁百科辞典』 1983年 金園社

《25》呉清源『呉清源忘憂清楽集 解説』   1983年 講談社

《26》林耕三「盤上的図案」『囲碁関西』7月号    1993年 関西棋院

《19》渡辺英夫『星輝庵棋録』        1980年 星輝庵囲碁普及会

《27》榊山潤『日中囲碁盛衰史』           1967年 勁草書房

《28》高部道平『碁道』            1932年 棋正社

《14》渡辺英夫『中国囲碁散歩』

《15》幸田露伴『碁と将棋』             1922年 国史講習会

《16》中山典之『囲碁いろは歌』           1994年 中山典之

《10》T.メブルフンチ『ギリシャロ-マ神話』  大久保博訳 1975年 角川文庫