第四章 囲碁伝承 (21) 堯舜の囲碁創作説 高野圭介 |
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堯か、舜が 子のために 作ったという 一般説 |
いまこゝに、中国の古い伝承を遡ろう。 中国の『春秋左氏伝』(BC 548)に「挙棋不定」とあって 「奕棋」という言葉で囲碁に関する記載がなされている。 晉(AD 265 ~420)の張華が書いた『博物志』のなかに 中国古代の聖天子・尭がその子・丹朱の為に囲碁を創ったと記されている。 また、別本に尭の次の帝・舜がその子・商均の為に創ったともある。 これが中国で創作されたという根拠になっている。《文献29》 |
尭舜杯 | 序でだが、 中国のアマ囲碁選手権大会に「尭舜杯」と言う棋戦があって、 中国では伝説を神格化しているようである。 |
ウ王の創作説 別 説 |
中山典之は分かり易くこう言っている。《文献16》 「碁は古代中国で始められたが、 言い伝えによれば、あるいは聖天子の尭が考案したとある。 舜王が出来の悪い二人の息子に碁を教え、知的鍛錬をしたとも言われる。 、あるいは又、尭をついだ舜の発明ともあるが、 その起源は、あまりにも古くて分からない。 また、その舜から引き継いだ夏王朝の始祖、 聖天子のウ王こそ囲碁の創始者であるとの説である。 |
聖天子・菟王 の創作説 中山典之 |
全く雲をつかむような物語であり、私なども、どうでもよいに思っていたが、 最近、ある一書を見て、にわかに、 心情的に 菟王を囲碁の元祖として崇拝したくなった。 菟王は BC2,000 年の聖天子と言うから、今から 4,000 年程も昔の物語になるが、 菟王が洛水(黄河の支流)の洪水を治めたときに神亀が出現し、 その背中に下記に示したような、暗号みたいな、何ものかを暗示させるものが 書いてあったということだ」と。 将来、囲碁の別称を「河洛」と呼ぶことになるのだが。 |
堯舜説の謎 | 堯・舜の治めた地方は今の山西省辺りであった。 中国古代の伝説上の帝王、尭と舜。 徳をもって理想的な仁政を行ったことで、 後世の帝王の模範とされた。 しかし、 伝えられる聖天子の業績も治水とか、一般の行政の域を出ず、 囲碁生成に関する環境はあまり感じない。 果たして、 行政の長が如何に万能と言っても、囲碁創設者たり得るかという 大いなる疑問が沸いてくるではないか。 |
諸説紛々 解決の糸口 |
囲碁創作は、一般には堯舜説で通っている。 いま、ここに記述したように、4名の聖天子の創作説も伝えられている。 多分そうだろうが、そうではなかも。 つまり、表彰者であっても創設者たりえないのでは・・・。 この疑問が、囲碁生成の核心に迫る仮説を打ち立てようとしている。 |