第四章 囲碁伝承

(24) 童子・幼童にして老翁


中国に伝わる「爛柯」や「橘中の楽」の碁の伝説などを辿ってみれば、
よく「仙人や童子が碁を打つ」場面に逢う。囲碁の別名ともなっている。

                                            高野圭介

仙人の世界
『大辞林』によれば、「仙人とは中国の神仙思想や道教の理想とする人間像で、
また人間界を離れて山の中に住み、不老不死の術を修め、神通力を得た者」とある。

当時の世相の中で
碁の創作に関わったかも知れない
自由奔放な仙人とは何であったろう。
仙人は道を極め、半神半人とも言うべき不死の人であった。
或いは世捨て人、いずれにしてもただ者ではない。


仙人の風貌


 時空を超えた仙人の風貌を『碁を打つ仙人』という随筆の中で、

白い髭に杖、(仙人は年をとらないのだが)老人のイメ-ジがある、と
井波律子は言っている。

杜子春


 芥川龍之介の書いた小説
「世を捨てて仙人になりたい」と言う『杜子春』
は洛陽での話だが、
登場する鉄冠子という片目眇(かためしょう)の仙人は四川の峨眉山の住人で、
漢時代から長生きして生きていたと言われ、白い鬢の毛を風に靡かせて歌う。

朝に北海に遊び、暮れには蒼梧
袖裏の青蛇、胆気粗なり。
三度嶽陽に入れども、人知らず。
朗吟して飛過す、洞庭湖。


人間離れ

渡来人?




仙人は中国西部の奥にある 崑崙山に住むと
言い伝えられている西王母という女神に会いに行くという。

私の勝手な想像だが、
仙人・鉄冠子は色黒で背が高く、鼻が高く鷲鼻で、超能力を持っていて、
人間離れした妖術を使い、何処となくやってきて、何処となく去る。


 
早く言うと、見かけない人種であるようだ。日本の毛唐・紅毛ないしは赤鬼・青鬼などに
相当する渡来人であったかも知れないと憶測を逞しくするに至った。

仙境の碁打ち


仙境で碁を打っているのは仙人・童子・老人らであるが

また、人間と極めて親密な関係を結んでいた幽鬼とか動物達が
しばしば黒白の遊戯に霊妙な才能を示すことがあった。

童子の世界 
 童子は地上の人間の世界とは次元を異にする山上の世界にある。

そこには超低速の時間、あるいは無時間がうっそり澱んでいた世界であった。
童子は仙人、老人、神仙、玉女の永遠に存在する世界の一員であった。

 唐子の姿
唐子(からこ)とは、中国風の髪形や服装をした子供の事である。
頭の左右にわずかに髪を残し他を剃る江戸時代の幼児の髪形を表すのか。

また東海地方などで山車からくりの「唐子人形」を略して使われる事も多い。

 インドの童子
 面白いことに仏教の発祥地たるヒンドゥ世界にも
特異な童子文化と呼ぶべきものが存在していて、
仏教の中にも根強く生存し続けてきた。

世には風の便りと言うものがある。
中国・インドの二つの国の同じく童子文化に何かの繋がりを見たい。

幼童にして老翁 


孔子・孟子は共に出生も生き方も一生がはっきりしているのに対し、
老子・荘子は共に出生どころか実在したかどうかも明確でない。

老子・荘子・列子、むしろそれ以前の原古以来、彼等の所属する文化には
すでにお馴染みの神聖な童子の原型的イメ-ジとして現れてきた。

また
、高齢の童子も居た。つまり、幼童にして老翁であった