第四章 囲碁伝承 (25) 仙人と道教的思想 高野圭介 |
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宗教概観 | この時代の様子を「宗教とは何か」という話も加えて、 秦兆雄 神戸外大客員教授の話に傾聴する。 先ず、宗教とは何か。人間は弱いもので、病労苦死から逃れられない。 宗教とは「死・死後に関する説明・解釈」と定義したい 。 宗教には宗教性と規範性の両面がある。 宗教性は心。「自分は必ず死ぬ。いつか生まれ変わる。 だから現世に善をなし、徳を積み、善いことをしておこう」と言うような心の動き。 キリスト教の規範性は形。 「聖書を読んで、教会に行く。(牧師が仲介者となって)神と対話する。 そして、自分が『神の子』を確認していく」と言うような規範を作っていく。 さて、中国には儒教と道教の二つの宗教があって、 それに仏教が加わったと見てよい。 現在は儒教が過半数で、仏教は一割程度であろう。 |
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道教概観 | 道教は多神教である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教と違い、 八百万(ヤホヨロズ)の神が居る。 日本の神道と同じである。同じの筈で、後日、中国の易経の中に神道という 文字が初見えして、それが天皇の文字と共に日本に入ってきたと言われる。 天皇制や古代神道における道教の影響については、最近認められているが、 その道教さへシルクロ-ドを通って伝えられたアレクサンドリアの 天文思想の産物である、と喝破する人もいる。《文献xx》 |
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道教の「道」(タオ) | 道教のキ-ワ-ドというか、特徴の一つに「道(タオ)」がある。 武士道、華道、茶道・・・の「道を究める」「芸の奥義を究める」などの「道」で、 おそらくは「棋道」も深い関係がありそうだ。 「道はない・・・それがタオだ」・・・「タオ・老子」 著 加島祥造 |
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神仙思想のタオ | 道教の源流である神仙思想では初めから伝説上の人物である 黄帝が一番尊敬されていた。 やがて、老子が黄帝にとって代わる。 老子荘子がうち立てたいわゆる老荘派の「道家」は、 孔子・孟子の「儒家」と相対していた。 フィクションであろうが、孔子は周で老子に会った。 孔子は「まるで龍のようでつかみどころのない人」と評している。 |
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道教は消極的・無の 不老不死の仙人 |
道教は自分が死ねば無である。自分と子は別の生命である。 子の中に生命を持続しないし、もはや何にも再生しない。 今生きることが大切だから、今を精いっぱい長生きして楽しもう。 「不老長生」のために不用の精力は使わない。 山の中に住んで不老不死の仙人になることを考える。 有名な修業所に武当山がある。 エネルギ-を消耗するような不用の行動は慎む。 例えば学習、セックス、労働・・・と。つまり Key word は消極的・無である。 |
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儒教とは 積極的な生き方 |
儒教は儒は主祭者・僧侶の意味で、自分が死んでも、 子が自分の命を受け継いでいる。子の中に生き続けている。 そのように過去現在未来を一貫して説明している。 だから、孝を強調し、楽しい現世をより積極的に (これが Key word)生きるよう生き方を説く。 伝記によると、 孔子(BC551-479) 道徳の中心を為すのは仁である。仁は孝である。 徳を天下に及ぼし、社会の秩序を保とうとした。 孟子(BC390?-305?)孔子を嗣いで、仁義の道徳を説く。 人の性は天から与えられたとして、性善説を説く。 |
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新興宗教の仏教 | BC 500 年春秋時代末期(BC770 - BC403)世の中が麻の如く乱れた頃に、 孔子・孟子の仁を説く儒教を起こした。 これに対し、道教は現世を楽しむと言う道を説いた。 これが囲碁を囲み、時間を超越してきた。 これに対し、将来・未来についての説明のない欠点を衝いて、 秦の後、前漢後漢時代(BC-AD の頃)に 当時中国としては新興宗教の仏教がインドから入ってきた。 |