入賞と表彰のご褒美 永年中国と仲良くしたというご褒美・・特別賞を戴いた。 |
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私と中国との40年に亘る水魚の交わり (ご挨拶) 高野圭介 1978年8月12日、日中平和友好条約が締結された。(注:1,977年8月、文化大革命は終焉した) その当日、我々囲碁使節団一行は北京空港に降り立った。 それは、地元、神戸新聞社創立80周年を記念して、訪中囲碁使節団が結成された。 橋本宇太郎最高顧問を初め、三木良一団長以下20名の一行で、私もその団員として加わっていた。 1988年、姫路の玄游会創立10周年を記念して、大挙訪中イベントを決行することとなった。 当時、渡辺博一会長と高野圭介副会長の二人で、下見に、北京へ出かけた。 その時、中国棋院で、王汝南先生から唐騰さんを紹介され、 何香濤先生や大勢の北京の棋友と親交を結ぶこととなった。 1997年、済南で催された名人教授杯囲碁大会に初参加し、陳大均さんと仲良くなった。 加えて九位入賞という栄冠を戴いた。 こうしてみると、10年単位で節目節目がやってきている。 2004年、秦皇島大会で、陳志行博士と打った碁が最も懐かしい記憶となっている。 今回の第十八回開封大会まで、休むこと無く、連綿と参加し続けてきたわけだ。 どういうわけか、今回外国から連続参加として、特別賞というご褒美を戴いた。 自分ではたいしたことは無いとは思うのだが、唐騰さんの言葉では、高野さんが中国が好き。 中国の人たちが好き。中国の人たちと水魚の交わりが連綿と続いている。 そういうことの証なのだそうだ。 自分としては、来年も再来年も、その次の年も何とか参加したいものだと思っている。 |
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優勝者と最終局で当たった三人。 最終局、高野圭介は4勝2敗で6戦全勝の曽徳輝(香港)さんと当たった。 勝てば三位入賞。負ければ圏外という立場だった。結果は負けた。 |
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阿部正行は全勝優勝の劉 思明(北京)と当たり、勝てないで、7位入賞。 |
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高野雅永も 最終局、4勝2敗で6戦全勝の党金江(河南省)と当たった。 結局、負けて7位入賞となった。 |