憧れの景徳鎮で囲碁大会

2012年5月

                                           高野圭介




景徳鎮は焼き物の好きな私にとって憧れの土地だった。

景徳鎮の土地に降り立って、最初に見たことは、
日本にはもう見ない喧噪の巷という活気だった景色だった。
「おお、景徳鎮は活気の中にいる!」と感じたものだった。




第15回中外名士教授囲碁大会<徳全杯>

於、中国景徳鎮市  2012年5月

                                  関口清

碁吉会高野会長のご好意を得て、初めて上記囲碁大会に参加した。

囲碁大会は5月18−22日景徳鎮市にて開催された。
(北京から空路南に3時間:人口36万人、陶磁器の生産地として古来より有名)

開会式、閉会式共に歌、舞踊、楽器演奏を含む立派な内容で、心のこもった歓待を受けた。

参加者は中国各地からの大学関係者(主に教授)で海外からは日本10人(碁吉会7人、
囲碁国際交流NPO 3人)、米国在住の中国人1人総計56人で、甲組(4段以上)26人、
乙組(3段以下)30人の二組に分かれて、7回戦の個人戦(ハンディーなし、
中国ルール、スイス方式)持ち時間一人1時間半(秒読みなし)で行われた。


甲組の優勝は6勝1敗の成績の景徳鎮市囲碁学校の校長先生であったが、
日本人は碁吉会の高野雅永氏の
8位(43敗)が最高位であった。
乙組では碁吉会の武田康氏が
2位(61敗)で大健闘であった。






景徳鎮とマイセンのこと

                                      高野圭介

チャイナ
 景徳鎮の焼き物は、純白で薄く、
硬く艶やかな硬質磁器は「白い金」と呼ばれた。

 南宋の経済を支えて、欧州を席捲していた景徳鎮の名前は
「チャイナ」の別称となった。




磁器製造の
秘法

 
 ドイツのザクセン選帝侯アウグスト2世(アウグスト強王)は
東洋磁器屈指の蒐集家であり、アウグスト軍に属する兵士600人と
プロイセンの竜騎兵の壷151個を交換したという逸話も伝わっている。

強王は、蒐集した磁器で城館を飾っただけでなく、
錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを監禁同様にして
磁器製造の秘法を研究させた。

マイセン   
 景徳鎮に追いつけ追い越せと、艱難辛苦の末、ベトガーは1708年、
ようやく磁器に近いものを作り上げ、1709年には白磁製法を解明、
1710年、ついにヨーロッパ初の硬質磁器窯が設立されたのである。

 ここ21世紀となってはマイセンが世界で君臨している感がある。


日本と
景徳鎮

 

  192 卵(地)が先か鶏(模様)が先か

戦後の日本は、景徳鎮となってしまった。


 中国と35年
開会式のご挨拶

大会の冒頭に「一言挨拶せよ」と言われて、
当初から身の引き締まるスタートとなった。

話す時、最初から唯一、碁の媒介の中で、
35年間という歳月が中国と私との時の流れに
身を投じてきたのを感じながら話していた。

 囲碁仙人
地図を5元で買い、早朝6:00の太極拳に参加した。

持ち時間、1.5時間の公式対局には全力を挙げた。

本会は蕩々たる風格の大人の世界なのだが、いったん盤に向かえば、
神々しいまでにも囲碁仙人となって没頭される姿が素晴らしい。


景徳鎮囲碁学校 
景徳鎮囲碁学校・邵 亮平校長の碁との取り組みはまた格別。

当学校には、.4歳からの子どもの手ほどきに当たる先生。
現在、中国に中国を制覇して、6段の認可のある方は
10名足らずだがそうだが、
その中の一人の先生が才能を引き出す仕事に当たっておられる。 

心のぬくもり 
帰路も北京経由。便の都合で2日間かかった。
景徳鎮は結構遠い。

けれども温かく迎えて貰った心のぬくもりは
冷えるどころかますます温かく、高揚している。