父・本田文生の初段允許状 日出(ひじ)町の平成の大合併推進派・本田維憲町長 本田維憲 |
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稀有な囲碁人生 | 本田維憲さんの足跡 戦後、並外れて碁の好きな初段のお父様から手ほどきを受けた。 注・高野:戦前の地方の初段は田舎初段と言われて、今の6段以上あった。 維憲さんが小学4年のとき、木谷実八段に井目で打ったりしたが、 当時、子どもが碁を打つなど、まことに珍しいことであった。 長じて、明治大学で囲碁部の再編など、戦後囲碁部の草分けだった。 社会に出てからも「大分放送」に就職し、囲碁に関係の深い部所に居て、 囲碁まみれの人生に包まれていた。稀有な囲碁人生である。 |
真似碁 | 本田さんとの碁はまた、奇抜だった。 第一手を天元に。 私も負けず、第二手を5の5に。 それから高目やら数手進んで、ハッと気が付いた。真似碁である。 八手目は真似碁破りの天元にピシャッとツケた。 それからが一局となった。 本田さんは「ネット碁でもやってて、良いんですね」と言われる。しかも、 碁吉会の野中さんと「高野さんと真似碁をやりますよ」と言ってきた、とも。 もちろんこれが初手合いだった。 |
殿堂入りの 初段免許状 |
父・文生が1944年(昭和19年)というから終戦一年前のこと、 日本棋院初段の免状を戴いた。 その免状の署名が凄い。 総裁伯爵・牧野伸顕、副総裁男爵・大倉喜七郎、審査役七段・本因坊昭宇 同八段・鈴木為次郎、同・瀬越憲作、同・加藤信、同・木谷実、同・呉清源。 いずれも個性溢れる肉筆で署名されている。 これは、今は囲碁殿堂入りしている。(下記参照) |