宮本直毅プロ vs 3子 高野圭介

1975年5月5日  於 関西棋院姫路総本部

168手完 黒中押し勝ち
アマの棋力を量りながら)




いつの間にか、関西棋院姫路本部への出入りが始まっていた。

それは
山崎に、関西棋院宍粟支部が設立されて、青柳又次さんから推挙されて、
私は40歳を過ぎたばかりのこと、支部長に就任することとなった。
宍粟支部は姫路本部の下部組織であったから。



初めて宮本直毅先生にお目にかかり
1局ご指導を戴いた。
帰りに
「形勢判断と大局観」 十段・半田道玄著に署名して贈られた。

        

これを機に、チョッキ先生との水魚の交わりが始まるのである。



宇太郎先生からのお礼の言葉。

直毅先生は関西棋院機関誌「囲碁新潮」の社長を務めておられた。
何でも、囲碁雑誌というものは採算が合いにくい。

その中を、「執筆者のプロにも充分な手当てを出せる雑誌にしたい」という
高邁な思想から、孤軍奮闘、借財を一身に背負っておられた。

私にも泣きの涙で、援助を乞いたいと、私は数百万単位の送金をした。
そのまま、倒産してしまったのである。

後日、その事情を聞いて、宇太郎先生からお礼を言われました。
「高野さん、内の宮本さんがたいへんなお世話になったそうで、
私からも、厚くお礼を申し上げます」と。

その借財は後日、無事解決しました。 高野記


本譜、アマの棋力を量りながら、適当に花を持たせた,,感がある。