囲碁団体戦の整合性を考える 高野圭介 |
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大會規定 置き碁の規定 |
韓国棋院挙げての第三回金寅国手杯国際シニア囲碁大会・団体戦に 碁吉会は男女計2チーム計8名で参加した。
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互先の募集であった |
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施工中、途中から 規定が変わってきた |
第1回戦は規定通り、全員置き碁で始まった。 どうしたことか、途中からハンディ戦は消滅し、 全員互先というアナウンスがあって、規定が変わってきたというのである。 当初 「弱い人でも置き碁のハンディがあるから、勝てるチャンスがありますよ。 ですから、臆せずに参加して下さい。」というので、参加した。 それが、ハンディなしのオールスクラッチとなったのは、いったい何がどうさせたか? 推測だが、選手からの突き上げか?運営サイドの配慮からか。その言い分。 「強いからと言って、公式の大会で、不理尽な多い置き石にも勝てる保証はない。 世界一強いチームにゆめゆめ負けさせる訳にはいかない。」 |
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囲碁の本質・・ 福祉と体育 |
そもそも、碁は福祉(娯楽)かスポーツ(体育)か、と問えば、日本では福祉。 中国・韓国ではスポーツという認識のように思う。 日本ではプロでもアマでも、トーナメントプロとレッスンプロは怖ろしい程はっきりしている。 アマでもトーナメントアマは限られていて、一般は「碁を楽しむ」人達が大半である。 これが「日本では福祉」の根拠である。 ゴルフでも、選手権大会はオール・スクラッチ。通常の楽しむコンペはハンディ戦。 おまけに、ダブルペリアなどど、不確定要素さえ加味している。 |
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団体戦の規定 |
このオールイーブン(互先)と、オールハンディ戦(置き碁)かは、 基本的に、棋力のばらつきをどう処理するかに掛かっている。 遊び心の企画には勝敗そのものに 機会均等を与える仕組みが無くては厳しさだけが表面化するはずだ。 あちらを立てればこちらが立たず、正に矛盾を解く問題が根底にある。 団体戦の規定では二者択一であるが、どちらにも与しないとなると、 オールイーブン(互先)と、オールハンディ戦(置き碁)を同時に採用するとなるが、 永遠に解決は混迷を深めていき、どこまでも解決の方法はない。 |
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おかしな話 |
我々もその問題に直面した。 最終回の、第5回戦は我々の一人。ハンディ6子局の対戦が互先の手合いとなっていた。 変更をアナウンスしたから、ルールが変わった、というのは とんでもない運営と判断した。 これでは碁にならない。抗議を申し込んだ。 結局は、当初の規定に沿ったノーマルな置き碁となった。 おそらくは置き碁制で対局したのは私たちだけではなかったか。 それもおかしな話である。 私の抗議を「勝ちたいから」という非難もあったようだ。それは逆で、全く当たらない。 対局場での抗議はTPOを考えなかったとの自制・反省はもちろんある。 では、いつ、どうすれば良かったか? |
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大会規定は 一本筋を通して 団体戦の整合性 |
むしろ、オールスクラッチへの変更は、「王者に勝たせたい」というか、 「負けさせたくない」というのは強者への配慮の強弁であり、 初心を忘れた歪んだ制度で、これこそ問題である。 本大会で、大会の進行途上で、勝ち負けにシビアな韓国が本大会は オールイーブン(互先)と、オールハンディ戦(置き碁)の相容れない世界を夢遊病のように 彷徨った進行という問題を強行したのは論外である。 折角見事な運営の大会の中で、唯一の瑕疵。しかも急所の問題点だった。 どちらかでいいから、大会規定は一本筋を通して、決めたら途中で変えないことだ。 シニア大会の今後のために、団体戦の整合性を熟考願いたい。 |