碁の筋道に 異国の人も シニアの人も 融け込んだ

   第三回金寅国手杯国際シニア囲碁大会

2009年11月20日~23日
  於 康津郡(Gangin City)

                                                                   高野圭介




韓国棋院挙げての国際囲碁大会団体戦に碁吉会は男女計2チームで参加した。
大会は数カ国、300人もの選手が一堂に参集しての盛会であった。

悲喜交々の結果にもお互いに感動する場面もいっぱい。すでに旧知となった朋友との交歓の機会もあちこちに。
ハプニングの数々に驚くこともしばしば。



 世界各国との

交流


最初のサプライズは仁川空港で、中国の余昌民さんが「高野さん」と声を掛けてきた。
お互いビックリ。

唐騰さんも、奥さんも、 何香濤先生や北京の友人達の顔がが次々と現れた。
おお、お前も来たか!と握手しあったものだ。

それが、早々第2回戦で、コテンパンにやっつけられたが、何よりも楽しい出会いだった。



会場では、韓国の、すでに旧知となった飛んでる女傑達に出会ったのも嬉しかった。
ソウルの洪承希、朴愛英さん。プサンの金香禧さんらである。

皆さまは21日夜、ホテルに私を訪ねてきてくれた。そのとき、北京の皆さまも来られ、
賑やかな部屋になったのも楽しいひとときだった。

朴愛英さんにソウルの李承雨さんへの連絡をお願いしたりした。
大会と言っても、人の繋がりがあってこそ。



懐かしく、楽しく、お会いした人達

                            高野圭介

中国・北京チーム 
「囲碁サロン・燕山手談社」

   韓 国
 跳んでる女傑や・才女たち

 日 本(我がチーム)
 碁吉会チーム A(男性)・女性B(女性)



シニア碁会




韓国は高齢者を敬う儒教思想の国で、男女を問わず、年齢を聞く必要がある。
だから、韓国では女性に年齢を聞いても、全く構わない


特に「シニア大会」という意味合いはその思想からの発想なのかと思っている。

具体的には、男性の碁吉会は年齢総数281歳(平均 70.2歳)でダントツ。
したがって、高齢者のチームで最高年齢賞を授与された。

規定では2勝2敗の時は年齢で勝ちが決まる。それが1回あった。
女性も第2位の高齢者チームで、2勝2敗が3回あって、すべて勝ち星に繋がった。

表彰式の時、突然
「赤田徳子さん」と呼ばれた。最高マナー賞である。

 


壇上の赤田女史は立ち姿も美しい。改めて普段の精進に感嘆したものだ。
なるほどというのはこのようなことであった。


韓国印象記   


 感動ー小さな町の大きな試み

 武田 康

シニア大会に参加して、そして嬉しい再会

 
赤田徳子
 

 国際シニア囲碁大会と韓国旅行

 橋口一誠

笑顔で交流・碁の魅力

 深山美代子


ハンディ戦と
イーブン戦の

狭間

 

これが大会の進行途上で、当初の置き碁制(オールハンディ戦)を廃止して、
オールイーブン(互先)にして、置き碁)の相容れない世界を強行したことだ。




 囲碁団体戦の整合性を考える            高野圭介

 



男子団体戦・特選譜




1回戦
 互先 曹 鳳植 5d  vs  先番 高野圭介 5d

    
黒中押し勝ち
 4回戦
白  金 奉沫  4d  vs   3子 武田 康  1d

 
 白中押し勝ち
4回戦
 互先 金 賢柱 5d  vs  先番 高野圭介 5d

白中押し勝ち
 5回戦 
白 Lee Kwang Ho 5d vs  3子 橋口一誠  2d

白中押し勝ち 

 

韓国の

囲碁ブーム! 

驚愕というのはざらにあるものではない。
韓国のテレビ。丸24時間、囲碁番組の放映は驚きだった。



何百、何千万円掛かったか分からないが、この見事なシニア大会開催である。
国威でなくて、棋威の高揚のためか分からないが、
たいへんなイベントを催したものだ。

 

康津郡の

観光と食事

 

市内の寺院、青磁博物館など時を惜しんで連れて行って貰った。

私らは観光もだが、常に社交の場だった。

あの人、この人、旧知の人、初めての人、笑顔の交流で、時間だけは勝手に流れていった。



台湾チームの参加を知った.林煥文さん、陳錦堆さんと話をしている内に、
碁吉会20周年イベントに参加されることに展開してきた。嬉しいことである。


青磁の作品を井上泰子さん、赤田徳子さんと一緒に買った。
私は故あって来られなかった杉田明子さんへのお土産に、割れないように大事に抱えて帰った。

 

康津での食事は
三度三度がキムチ味を根底にカライ食事だったもので、胃が辛いと言っていた。
でも、特殊な料理でなく、家庭料理で親しみやすかったので美味しく、次第に馴染んできていた。


スチュワーデスと

まさに奇遇

 

関空に着いてから、三宮行きのリムジンバスに発車間際に可憐なお嬢さんが乗り込んできた。
隣に坐ったので、話をしていると、

飛行機の中で私が頼んだ日本の新聞を届けに来てくれたが、
私が席を替わっていたので、遂に新聞が届かなかった。申し訳なかった。

そのスチュワーデスで、まさに奇遇。名前を伊藤文希といった。