橋本昌二九段の名言 高野圭介 現代囲碁体系大31巻 |
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「一生懸命」 | 昌二先生が逝かれた。 先生は1935年生まれ。関西棋院の重鎮だった。 座右の銘は「一生懸命」。中途半端はなかったと聞く。 酒は名うての大酒豪。 先生が生涯、糖尿病で悩まされた原因も 酒の害からではなかったか?と独り思っている。 煙草も大好きだった。関西棋院で禁煙令が出ても、 最後まで反骨して煙草党を主張したのは昌二先生だった。 |
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山崎町の 「有段者会」 |
昌二先生が未だ小学生の頃、 山崎町に「有段者会」という囲碁同好の会があった。 厳父・国三郎に連れられて、よく有段者会に来られた。 |
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本条俊一の話 | 昌二少年に5子局で打ったが、 白は天元の石にツケて打ち、4手で打ち上げてしまった。 そのあと、あちこち、コテンコテンにやられた。 |
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前野四郎の話 | 昌二少年がトイレに立って、なかなか来られない。 迎えに行ったら、階段の下で、独り、 おもちゃで遊んでいた。 |
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和局の棋譜 昌二先生の著名 |
大井万兵衛さんの白寿碁会(1981年3月13日)に 高原周二九段を伴って来られた。 その前夜祭で、昌二先生は大井翁の5子局を見事、和局に打ち上げられた。 私は棋譜係りを勤めたが、持碁となったとき、「おめでとう」の歓声が上がった。 その、和局の棋譜(再末尾に記載) 翌日、お帰りの時、酒の大瓶4本を大事そうに抱えて持ち帰られたとき、 先生の嬉しそうな表情が忘れられない。 |
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「関西棋道会」 | 1995年頃のこと、大坂に「関西棋道会」が毎月催されていた。 指導碁の後、会食会があるが、席上、 「羽根泰正先生は面白い方ですよ・・・云々」とか、 先生のお話が新鮮で、納得出来るものだった。 偉大な方の言葉はは嘘がない!と、感じ入ったものだ。 |
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碁は130手 | 私はゲームというものは室内室外を問わず、 100手、100球で、勝敗が決まるように思う。 碁、将棋、麻雀もだいたいそうだし、野球のピッチャーは100球、 テニスでも100球。目安は100手、100球のようだ。 「碁はどうでしょうか?」と、昌二先生に聞いたら 「碁は130手かな」と言われた。 |
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はやばやと 碁の収束が見えた |
昌二先生の言葉に、驚きの声が出る程、感嘆したことがある。 先生は、一局の碁で、50手ばかりの場面で、 「打ててる時は、50手辺りで、碁の収束が見えていた!」と 自信が持てたものだった。」、が、しかし 「今は、どうも先が見えない」と嘆いておられた。 |
見事・和局の出現 大井萬兵衛翁白寿祝賀碁会 橋本昌二王座 vs 五子 大井萬兵衛 99歳 棋譜・記録 高野圭介 1981年3月14日 於 山崎町・菊水 260手完 持碁 |