六然訓


賢人たちの道標となってきた「六然」の教え


                   
 
菜根譚をヨム

                                                         高野圭介 編集

六然訓をヨム

人生の指針


ホテル・オークラの隣にある「大倉集古館」には、
勝海舟の書と伝わる「六然訓(リクゼンクン)」という掛軸がある。

「自処超然 処人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然」


この六然を座右の銘とした安岡正篤は、こう語る。
「寸言こそは人を感奮興起させる。
六然訓などはその最たるものである」と。

安岡にそう言わしめる以上に、この詩歌は美しい。
訓戒としての実用性もさることながら、整いすぎるほどに
整然と列挙された各語句には、微塵の無駄もない。

そして、対比された語句の鮮やかさは見目にも心地良い。



 1


自処超然・


最初の対比は「自分と他人」である。

 自分には「超然」、他人には「藹然」。
具体的には、「自分のことばかりに固執し過ぎず(超然)、
他人と和めよ(藹然)」となる。

「超然」というのは、「一歩離れて客観的になる」ということであり、
「藹然」というのはグッと近づいて主観的になる」ということである。

「藹(あい)」という言葉自体の意味には、「まめまめしい」などがあり、
和気藹藹(わきあいあい)という語句の中にも見れれる。
「藹然」となると、とても和やかな様を表す。

 
2

処人藹然


 一般的には、
自分を中心に、そして他人をその外側にと考えるものであるが、
六然においては、その逆のことを言っている。
「自分から離れ、他人に近づけ」と。

 超然と藹然の対比は、その距離感の対比であり、
自他の「間合い」の妙を示すものでもある。


3


処人藹然

 

 次の対比は「有事と無事」。すなわち、
「何事か起こった時(有事)」と「何事もなき時(無事)」の比較である。

 何事か起こった時(有事)には「斬然」、
刀で一刀両断するがごとく明らかな断を下す。

それに対して、何事もなき時(無事)には「澄然」、
澄んだ水面のごとく静けさを保つ。


4


無事澄然

 

「斬然」と「澄然」は、その激しい動きと静けさの対比であると同時に、
斬るという「縦の動き」と水面のような「横の静けさ」、
つまり「縦と横」の対比をも感じさせる。

 似た言葉に「疾きこと風の如く、静かなること林の如し」と
いうものがあるが、こちらの場合は、
動き(疾さ)を横に吹く風で表現し、静けさを縦に林立する林に例えている。

 どちらが縦で、どちらが横にせよ、縦と横が
「動と静」の象徴となっていることは興味深い。


5


得意澹(淡)

 

「得意と失意」、「調子の良い時」と「落ち込んだ時」の対比である。

 そのシチュエーションは両極端であるものの、
それらに対する心の反応は「淡然」と「泰然」、

双方ともに「落ち着き」を表す同義語。すなわち、調子の良い時も、
落ち込んでいる時も心はつねに同じ落ち着きを保っているのである。


6


失意泰然

 
 

この点、
それまでの対比とは大きく異なる。
なぜなら、これまでの対比が「超然・藹然(離れ・近づく)」、
「斬然・澄然(激しさ・静けさ)」という両極を示すものであったからだ。

 つまりは、
最後の最後で、心の状態が「一つ」に収まるということか。