20年という歴史のスパン

碁吉会創立20周年を間近にして

                                                                  高野圭介


碁吉会の歴史20年というスパンはどういう期間なのだろうと、考えてみた。

明治以来、20年というスパンで見ると、日本を取り巻く歴史を俯瞰すれば、

20年(二昔)でガラリと、音を立てて変わっている。





危ない!19世紀の日本は、植民地の危機に晒されてきた。

(20年スパンで見る)

                                                    高野圭介


1868年 明治元年・・日本は古今を通じて、独立していたという誇りは、
悲しいことに、日本人自身の意識だけであった。

安政5年 (1858) に幕府がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの五ヵ国と結んだ条約の総称。
租界・租借地・あるいは居留地内の日本の司法の及ばざるところがあると言う、
領事裁判権を認める、関税自主権がないという内容だった。

それから
各国と交渉をして、1894年に条約改正をして、平等の国際的地位を保った。

それは
孫文が見た日本はこの間、36年間は植民地であったということであった。

cf:司馬遼太郎「この国のかたち」より

孫文

孫文・初代中華民国臨時大総統


1880年代 列強が対清国戦争で、アジアにも植民地化運動が盛ん。
日本は必死のパッチで外交に当たり、
すべてを平等条約に改訂して、
名実共に植民地から免れた(脱出した)という。

cf:司馬遼太郎「この国のかたち」より


1894年 日清戦争で、講和条約の内容は次のとおりである。

1.清国は朝鮮の独立を確認する。
2.遼東半島・台湾・澎湖島を割譲する。
3.賠償金2億両(テール)を支払う。
4.重要な港湾市街を開市する。
5.条約履行の担保として日本は威海衛を占領し、清国はその費用を負担する。

危機を脱出した日本は列強の植民地政策群団に、肩を並べる



20世紀の日本囲碁界と、世界世相の(20年スパンの)比較年代表



囲碁界も、20年毎に大変化!




20世紀の世界、20年毎の世相の変化



1906年 本因坊秀栄 名人位を贈られる。

 1914年、秀哉名人位就位。棋界第一人者になる。


 1904年 日露戦争。(戦勝国・日本)

1924年 ヒトラー総統「我が闘争」を書いて、ファッシズム台頭。
日本もファッシズムのシステム(富国強兵)が・・・。


   1924年 日本棋院創立。


日本は明治維新後、西洋が400年かかった経験を
僅か半年で濃縮してやってしまった。日露戦争の勝利が、
日本をして遅まきの帝国主義という重病患者にさせた。

泥臭い軍国主義も体験した。
それらの体験と失敗のあげくに太平洋戦争という、巨視的にいえば、
日露戦争の勝利の勘定書というべきものがやってきた。

「歴史の中の日本」司馬遼太郎著 p.104 より


1950年 関西棋院創立。  


1945年 ポツダム宣言受託。(敗戦国・日本)

 
1970年 その頃日本と中国との囲碁交流が始まった頃?


1961年 ベルリンの壁 構築(東西冷戦)


1990年 碁吉会創立。

 
1989年 ベルリンの壁 崩壊(グローバル化)


2010年 碁吉会20周年。


BS放送も20周年。