歴代兵庫県知事の話

第20回ミニミニ講座 いろり談議

吉岡 易 先生

とき  2017年3月23日13:00~
ところ 交友プラニングセンター


兵庫県岸田知事終戦処理に没頭



戦後、官選から公選になった兵庫県第一号知事は岸田幸雄であった。
敗戦のドサクサ・・・治安も悪化。世相も悪い・・・問題山積の行政だった。

                                           高野圭介



敗戦処理
1946年(昭和21年)から二期 8年間の行政は終戦から2年目という
大混乱期の真っ只中。県政はもとより敗戦処理が最大の仕事だった。

1.海外から引揚者対策

2.朝鮮人が戦勝者意識で、問題勃発

3.副知事反乱のお家騒動

海外から引揚者対策
引揚者とは
第二次世界大戦の敗戦によって、台湾・朝鮮半島・南洋諸島などの外地や
日本から多数の入植者を送っていた満州・南樺太などに居住していた日本人で、
日本軍の敗北に伴って日本本土に引き揚げた日本人を指す。

「引揚者」の呼称は非戦闘員に対して用いられ、外地・外国に出征し、
その後帰還した日本軍の軍人は「復員兵」と呼ばれた。

敗戦時には軍人・民間人計660万人以上が海外に在住し、
引揚げした日本人は1946年末までに500万人にのぼったが、
残留日本人の数や実態については現在も不明である。


中でも舞鶴港はロシアからの引揚拠点として有名であったが、
未だにロシアの終戦時の不理尽な行動の解決はされていません。

 


このとき、一斉に侃侃諤諤、殆ど全員の口が開いた。
国際法上、ロシアの参戦とシベリア強制労働は許されるか。
四島返却以前の問題だ。直ちに行動を起こすべし・・・と。


朝鮮人問題
以前からの在日朝鮮人、労働者として徴集されてきた朝鮮人は敗戦という
180度の転機で「朝鮮は戦勝国だ」と、今までの苦痛の鬱憤もあったでしょう、
いろんな形で暴動が起きました。

 
歴史の父・ヘロドトスは言った。
「歴史は勝者の弁は宛てにならない。敗者の言葉こそ真実を語る」と。

神戸で、キムダイチ15歳の朝鮮少年が殺害された事件があった。
これが引き金になって、暴動となった。

一韓国人の証言で、公式記録があると言う。


1948年4月10日、
岸田は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の方針に基づいて
文部省が発令した朝鮮学校閉鎖令に基づき灘と東神戸の朝鮮学校2校を
封鎖するよう命じるが、24日に命令の撤回を要求するデモ隊の一部が
暴徒化して県庁舎に乱入し知事室に監禁される事件が起きました。

直ちに県警とMPは当日の夜に非常事態宣言を発令して県庁舎へ突撃し、
岸田を救出すると共に、監禁下で強要された封鎖命令撤回などの
宣誓を無効とする声明を発表した。

関東大震災の流言
その昔、関東大震災のとき、地震の震災から逃げ惑う人たちの間に、
「朝鮮人の暴動だ」という根も無い噂が飛び替わったという。
逆に言うと日本中でどれだけ朝鮮人が虐げられてきたことか。



現在の慰安婦問題を考えるに、民族間の紛争は根深いものがある。
ましてや、支配者と被支配者の関係はなかなか解決しにくい。

・・・血が混じりあって同化していく・・・
そんな過程はアレキサンダー大王、南米のスペイン、などに
歴史は教えているが、日韓の間では難しいだろう。

副知事反乱のお家騒動
1951年の第2回知事選では再選されるが1954年のことです。

岸田知事は自分が抜擢したかどうかは分かりませんが、最も信頼して
二人三脚の吉川覚副知事から「裏金作りあり」として突如告訴されました。
叛旗を翻した吉川は“県政の爆弾児”と評されました。
結局証拠不十分として起訴猶予となりました。

その中身は知事が奥様同行の海外視察は発端であったようですが、
今の世からすると考えられない発想です。

事実は後継者問題で、吉川は当然の後継者と自認していたにも係わらず
外されたことへの逆恨みであったようです。

社会正義か下克上か
この種の反乱は、荒木村重の反逆、明智光秀の謀反、加藤紘一の乱、
などありますが、社会正義か下克上か、真意は分かりません。

何かやむを得なかったとしても、関羽の故事に考えて、
仲間、上司、信頼という点に於いて気分の悪い違和感を感じる。

岸田~阪本~金井


 岸田・吉川の両陣営とも分裂選挙で足並みが乱れたままの中、
前尼崎市長の阪本勝が社会党推薦で出馬して台風の目となり、
12月12日の投開票では阪本が岸田と吉川に大差を付けて当選する。



文人・阪本勝の楽しい随筆集・・・「風塵の色」が出色。愛読書の一つ。

阪本の当選によって兵庫県政史上初にして現在まで唯一の革新県政が樹立され、
保守陣営は阪本県政で副知事を務めた金井元彦(1903-1991)の2期目まで
不毛な政争の遺恨を引きずる大きな疲弊状態が続くことになった。