表  白

老人の社会的差別
ーシルバー・ハラスメント論−
(Agism : Silver Harassment)


                                   高 野 圭 介

1994年のある日


 ある僧がこう言うんですよ。

「なに!『仏教が分からん?』当たり前じゃ。
そもそも宗教は分かろうとするものではない。信じるものじゃ。馬鹿もん。
 だいたい『歎異抄を読んでも、般若心経を読んでみても分からん』
なんてかるがる申しておるがの、読んでいない。
字をなぞっただけじゃ。
知識を覚えるのではない。知恵を授かるのじゃ。
分からんだろうがの。

 なんと『自分ではなんとも出来ぬ』とな。
ふん、そちはなかなか面白いことを考えとる。
それにしても仏教の真髄をついとる。
なかなかのものじゃ。

 生死について、いろいろなことを浄土真宗では教えているが、
そちのような考えを『表白(ヒョウビャク)』といって『はからわれている自分』と言うか、
まあ、こんなことを言うとる。たまにはちよっと遊びに来い」

 帰ってすぐ、事典を引いた。
表白(ヒョウハク)とは「文書や言葉で申し述べること」とあって、
表白(ヒョウビャク)とは違って、何の変哲もない。

 そもそも、難しいことを易しく説いてこそ説教ではないか。
何でもないことに公案を授けるように、よけい分かり難いような難題を持ち出すなんて、
ひょっとすると、本人も分かっていないんじゃないかな。この坊主!

 でも、よく考えてみると、言われるのも当然? 
自分が思っていることもはっきりしないのだ。
まあいいか、「表白」なんて考えていたら頭が禿げる。


     表白・2010 年の私(1)

 どうも、ボケてきたらしい。
つい今、話そうとしたら、頭からスーと消えてなくなっている。
うーん、でもまだ、これはマダラボケと言うんじゃないか。

 でも、あの頃は元気だったな。
思えば60過ぎて若気の至りで、カレッジで我ながらようやる。
と言いながら、アホみたいにフル回転してなにかと勤しんだものだ。

 囲碁同好会が活動しかけた。
「私は自分がえゝアホやと思っていたら、
シルバーカレッジにもっとアホがいた」
と言う人が現れた。
意気投合して碁を打った。

 二階の和室で、囲碁大会のとき、
差し入れの祝い酒を善は急げと、コップを並べてなみなみと酌んだとき、
事務局の人が突然現れて「ここは学校ですよ」とたしなめられたことがあったっけ。

 ちょっとベソを描いたが、
今更戻すこともならず「えい、呑んでしまえ」ってなことになったが、
中学のとき隠れて煙草を吸うて先生に見つかったのが思いだされ、
懐かしがったりして。


     1994 年のノート(1)より

「生きとし生けるものは必ず死を迎える」ということから逃れることは出来ない。
我々は人生の最終章ないし終末期を「完成期」と呼ぶ。
 高齢者には「私は何時この世におさらばしてもいゝ。
だが、今は、鬼が迎えに来ても逝きたくない。

ただ、ボケだけはいやだ。
ボケて生きるのだったら死んだほうがまだましだ」と言うのをよく聞く。
 生きるも死ぬも自分である。
つまり、
自分が「どのように生きるか」「どのように死ぬか」と言う二つの命題の中にいる。
換言すれば、人はいろんな角度から自分を見つめ、見直し、
切磋琢磨して生きているのだ。

 自分には「三つの自分」がある、と言われている。

自分の考えている自分・他人の考えている自分・本当の自分の三つ。、
つまり、自分が大事にしている原則に適った自分は果たしてどれか。
 理想はこの三つの自分がピタリと一致する筈だが・・
でもそれがばらばらな結論を引き出すようになったらどうなるか
たいていは合わないが。


  表白・2010 年の私(2)

 カレッジ・ライフは忙しかった。
いつの間にか、いろんな同好会に・・・10いくつもの部に入っていた。
やりたいと思ったことは手当たり次第に手掛けたものだ。
いや、何でもさせられた。

 今年はすでに18期生の学生が入学した。
神戸市の人口も170万を越えてきて、福祉は日本一であり、
「住むなら神戸」の相言葉がいよいよ定着してきた。

カレッジの卒業生はとっくに5000人を越えていて、
OB 会員の活躍も目を見張るものがある。

 銀嶺句会という俳句の会があった。
身体が一つでは足りないので、いつも句だけが一人歩きして参加していた。

   手を濡らす酒をかざして後の月   虚石

   毬割れば美神のなせる栗の艶   
虚石
 
   籤引けば女難の相と初天神  
   虚石

 先生主宰の『ぐろっけ創刊号』に三句取っていたゞいたが、 
三番目の句は正月に綱敷天神を詣でて引いたおみくじに「女難の相」とあったので
、詠んだ一首を何人かにとっていたゞいた。
おまけに先生が「あんな句ばっかりはあかんよ」と言われたものだ。
 もう時効だから申し上げるが、
それが「面白い」ってんで、川柳に載せたらそれがまた、入選してしまった。

  籤引けば女難の相と初天神    渠迹

 気取って、川柳習作をもう二句。

  都忘れ光源氏と自負したし     渠迹

  落日に種も仕掛けもある扇子   渠迹


1994年ノート(2)より

 人が生まれるときは一人一人何ら変わらないが、
死ぬときは千差万別、人が同じ死に方をしたのを見たことがない。

生き方についての問題が生じるのは「ボケ」である。
肉体の衰退もだが、自分が自分の管理が出来るか、
脳が自分に問うことが出来るかどうか疑問だ。

 かって、川端康成、大友柳太朗といった人達が自分自身で終末を迎えられた。
「ボケてしまって、自分を見失うのを懼れて、
勇気の残っている間に」と、決行されたのではないか、と推測する。
いやー、立派なものだ。

 ずーと前に、友人の医師が「高野さん、私は長い間医者をしているが、
だいたい80を過ぎてくるとボケてきますよ。貴方も危ないね」と言われているので、
覚悟はしていたが、
マラソンの君原さんが「あなたは何歳まで生きたい、と思いますか」の問いに
「70代でサヨナラしたい」と答えたことがある。
早いもので私も今年は78歳で、何らかの答えを出さねばならない歳になっている。

 皆様への訣別の予行演習もまゝならず、
川端・大友両先輩の真似ごとも出来ず、これは、えらいこっちゃ。
 いろいろあって、一茶も今際のきわに「死にとうない」と言うたとか。
自然流・・・・うん、これがいゝ。

あゝ、アホくさ。こゝらで宗旨替えだ。
考えてみりゃ、みんなボケるんだからボケを甘んじて受け入れようではないか。
「ボケるときはボケるがよろしく」と。


     表白・2010 年の私(3)

 ハイキングや歴史探訪も楽しかったな。
皆さんの引き回しで、いつでも、どこへでも、ひょこひょことついて行ったものだ。
いつも、何処へ行くのか分からない。
とにかく集合場所に半時間前には行って待っていた。
 いつも飴を貰ったり、冷やこい果物や漬け物をおいしくいただいたが、
昼食のとき、アルコールが入っていなかったら不思議がられた。はゝ・・・ 
 人間ドックの検査でも、どこも悪いところがないんだから、
そりゃ、70代で失礼するためには、酒でも呑むとかして、何とかしなくては間に合わない。
「なにしろ、酒が俺を好きなんだから」なんて言いながら。
そう言いながら、古稀を迎えていた。

でも、20004年73歳を迎える初夏の頃だったかな
血液検査に格別の異常が発見された。
糖尿病と、中性脂肪の老化現象である。
私は早寝早起きに加えて、アルコールと脂肪を絶った。
テニス・ゴルフ・山登り・プールが日課に加わった。
お陰様で、心身共に爽快になっている。


     1994 年ノート(3)より

 もっとも望ましい死に方については「如何に自然に完成期を迎えられるか」
と、言うところに帰結するのではないか。
死に方といえば、ものごとは何でもそうだが、
終わりよければ全てよし、と言うようなところがあって、
私のように宗教心を敢えて遠ざけている者でも、
「救われる」というには訣別五分前が勝負かも知れない。

勝負と言っても勝ち負けがあるわけではない。
「心の決定(けつじょう)」の問題である。

「私は極楽へ行って、綺麗な着物を着て、おいしいものを食べ、
いい香りの花とすてきな音楽の中で、
もう死なない一生を永遠に送るなんて退屈で仕方がない。
何とか地獄へ行って舌を抜かれたり、針の山を歩いたり、腹が減ったり、
喉が渇いたり、いろんなことをするのが楽しいな」と言う人もいる。

人間の「四苦」とは「老生病死」を指すが、
中国では「死」を恐れて不老長寿の薬を求めた。
ようやく出来た丹薬という不老長寿の秘薬で、
為に水銀中毒になってどんどん倒れていった、といった笑うに笑えぬ話があった。

本来この「生・病」はともあれ「老・死」なんて例外なく誰にも訪れるもので
種族維持のためにも望むべくもない理想の結末なのだ。

 時期が来れば高齢者には多かれ少なかれ、老化に伴う諸問題にぶち当たっていく。

孤独・・精神問題・・社会から閉ざされ、交友の減
 ボケ・・肉体問題・・忘却や筋肉・内臓の機能低下
 生活・・経済問題・・勤労収入が絶たれ、年金依存

 これらは心身共に逃れることの出来ない個体の現象なのだ。
満ち満ちて、後、欠くるにまかせて一つ一つ自分を失っていく。

加齢の中で、どう対応していくか・・

 側の人の老人に対する関わり方を見るとき、
追い出し、冷やゝかな眼、排除、虐待、隔離、無視、差別の態度は許せないが、
とか言っても、果たしてどんな手を差し伸ばせるかを思うとき、
医療問題における「介護」に関与するのが精いっぱいの、
最大限の介入ではなかろうか。
その人の「生きがい問題」にまで介入することは難しい。
誰もその人の「自分」には入り込めないのである。


     表白・2010 年の私(4)

 いつの間にか日本はスエーデン並の福祉国家になっている。
光ファイバー通信連絡網がいよいよ日本中を結んだ。
何でも知りたいことをすぐ入手出来る時代になった。
 それだけにいろんな歪みが社会に問題を投げかけているんだな。

 今、私の三人の子ども達が言うていたのを思い出している。
「お父さん。わし等は息子として、何とでもして上げるが、自分のことは自分でしてよ」
「はい、はい」

 今も変わりがない。嬉しいことだ。
たぶん、10年先も、20年先も同じだろう。結構なことで、嬉しいことだ。
 ただ、独りぼっちになったとき、
自分自身何もできない中、介護についての保証は何もない。
 嬉しいのは家内が「私が後になってあげる」と言ってくれる。嬉しいことだ。

「もしも、もしも?」とあらぬことを考えた。
でも、人間万事塞翁が馬と、もう「そんなにうまくいくかな」と杞憂するのは止めよう。
 それでも、ボケかけた頭で考えてみると、どうも変だ。

 カレッジで、テニスやゴルフに誘われたら、いつでも仲間に入った。
 学校の帰りに、しあわせの村のジムでストレッチ体操をしたり、自転車を漕いだ。
プールでクロールも泳げるようになった。

 家では毎朝五時に起きて、須磨の浜で太極拳を一時間余り続けている。
呼吸はゆっくり糸を引くように吐いて調え、筋肉を鍛えて脆くなる骨をカバーしようとし、
虚と実の動きに、年中楽しく、身体を鍛える運動に身を挺していた。

 情けないことに、下手をすると「杞憂」を現実のものにする、
とんでもないことになるかとも知らずに。
 昔は「死ぬははたち(20歳)か60か」と言ったものだ。
学校の講義でよく教わった。
「人の死はガン・心臓・脳が原因になることが多い。注意しなさい」と。

 分からぬでもないが、何時か死ななきゃ閻魔さんは許してくれない。
いったい、どのように死ぬのが適当だ、とは教えていただいていない。
しかも、早すぎるのはいけないのはよく分かるが、
遅すぎても駄目なことは自分で知りなさい、と言うことであったのか。


     1994 年ノート(4)より

 個体が完成期に向かっては「自分」を失っていく。混沌とした状態に還っていく。
 そもそも、流転のこの世に定まったものはなくて、すべてが流動的である。
流動的といっても、殆ど無秩序に近い何十億年前の
地球のようなカオスのような状態ということもある。
カオス・Chaos 混沌というのは「動きの揺らぎ」である。

 気象学上で「バタフライ効果」とは
「蝶の小さな揺らぎが台風の動きの方向を変える」と言うように、
小さな誤差の影響が将来を予測できない方向に変えるもので、
個体の老化により、変化自体は単純であるが振る舞いは複雑になっていく。
不安定な揺らぎに身を置くことになる
 人生の支えって、本当は何だろうと疑問が拡がってくるのだ。


     表白・2010 年の私(5)

 どうも、昔予期していたように、
私にもボケの症状は子どもに帰っていくように今から急速にやってきそうだ。
まだ、蝶の羽根の一振り段階かも知れないが、まあ、いゝとしよう。

 どういうわけか私は眼は乱視で、耳が遠く、鼻は利かない。
身体中の穴の開いているところが何処もコンプレックスを感じるように出来ており、
音感に弱く、加えて、身体のバランスを取ることが下手だ。
お陰で図々しいところだけが突出してしまったようだ。

 そこでどんなことが起きたか、というと、
驚くなかれ「せめて、一生に一つだけ自分の歌を」と白羽の矢を立てたのが
1994年だったから、25年も前、『ベートーベンの第九』であった。
 外山雄三・大友直人・井上道義と故山田一雄らの
日本屈指の指揮者の下に舞台に立ったりして、
その入場券を買って貰ったりしたものだから、
子ども達が「詐欺じゃ」と叫んだ一幕もあった。
ドイツで、このシラーの詩の発音の勉強をしたこともあったっけ。


     1994 年ノート(5)より

 学友のお誘いで、また「第九を歌う会」に入って歌うことになった。
 残念ながらコーラス部には時間の都合で入れなかったが、
フォークダンスが早朝だったもので、誘われるまゝにハイハイと出掛けた。
ところが、「学園祭に出場しなさい」と命令が下され、
それでも尻込みしたが、電信柱がうごめく程度で勘弁いただくとして、
とほほ・・・と、勇を鼓舞することになった。
 あの初めての学園祭で、みんなで歌ったあの歌が
温かい友情と共に今も耳の底に残っている。

How much is that doggie in the window・・・・・・・whon whon

 あの頃の皆さんはいったいどうしていることやら。
英語の C class の皆さんも、なかには風の便りになっている人もいる。
でも、今振り返ってみると、どなたも頑固というか、個性豊かというか、
一種独特の風格があって、お一人お一人が尊敬に値した。すばらしかった。

Could some of HAPPINESS be caused by
the friendship of KOBE SILVER COLLEDGE ?


 特に思い出深い方々、パソコンや、グランドゴルフや、
ローン・ボウルをした 7 班の皆様の元気なのが嬉しい。

 歌と言えば昔から「ひょっこりひょうたん島」が大好きだった。
もう78歳になっているが、今も大好きで、モーツアルトを聴き、
時折カラオケで「夏の思い出」や「銀恋い」などを歌って、
涙が出るほど懐かしがっているんだよ。

 そうだ、あんなことがあったっけ。
いつだったか、
「こんど、エイジズム研究会というのを創って活動するので、頼みますよ」
と言われたので、
「はい、はい、承知しました」と、言ったものゝ、
「いったい何をするのですか」と、聞き直したものだ。

それがこんなノートを遺すことになった。


  表白・2010 年の私(6)

 現実には、人との関係において同世代交流にしろ、
異世代交流にもしろ仲間との交流を持つこと。
決して孤独になってはならない。足腰を使い、肉体の衰えを防ぐ。
特に頭を回転させて若返りを図る。
心を安定させてストレスの解消、充実感に浸る。
もちろん、なるべく出費を抑え実生活に無理をしない。

 孤独・・精神問題・・自分自身と対話し、神仏と同行するなど。
 ボケ・・肉体問題・・神様の贈り物として、その人らしくボケる。
 生活・・経済問題・・粗衣粗食も自然のままに甘んじる日暮し。

こうして自分を確立すれば見る方向によっては未来が見えてくることにもなる。
 ここに「自分を見失わないことこそ完成期に向かっての命題であろう」と
おこがましくも言おう。


   しおらしや蛇も浮き世を捨て衣  一茶

でも、実際には「まあ、元気でやりましょう」ってなことで、
はや、ケセラ・セラ・・・と口ずさんでいる。