南イタリア・シチリア旅行

 2005年1月28日〜2月4日
ミニ碁吉会ツアー

                                        馬場宏三


 私にとってイタリアは、1996年夏、中央部のこぢんまりした
保養地・アバーノ・テルメで開催された欧州碁コングレスに参加し、
その足でローマ・ベニス・フィレンチェ・ミラノへ観光したとき以来2度目です。

 イタリアに限らず、ヨーロッパに行くと、歴史の古さ・・・紀元前遡る遺跡や、
数百年前建立された堅固な建造物(教会や住居)に圧倒されますが、
今回も同様の経験をしました。


当てはずれの地中海性気候

 地中海に面する温暖の地だけれども、冬季であるし、服装をどうすればいいか迷いました。
が、旅行期間中、雨模様となり、吹き下ろしに遭ったり、晴れ間が見えたかと思うと、
小雨になったり、また、ナポリからアルベロベッロへバスで移行したときなど、
山間地で大雪になり、びっくりしました。


ナポリ

 最初の訪問地、ナポリはBC470年頃、古代ギリシア人が渡ってきて
新しい町(ネア・ポリス)を築いたのがはじまりとされ、
そのとき、彼らの上陸地がイタリア民謡で知られるサンタルチアだったそうです。
この地から南方に有名なベスビオス火山やソレント半島が見えます。
1282年以降、ナポリ王国建国と共に、その首都となります。
やがて、ルネッサンス文化の中心となりました。

今日では一地方都市の地位に留まっていますが、
ナポリは都市全体が1995年世界遺産に登録されました。





カポリ

 カプリ島はナポリ島沖、フェリーで40分のところにありあます。
 ローマ帝国時代ディベリウス帝の別荘があり、今も避暑地として有名です。
私たちが訪れたのは観光コースに定めてあるサン・ミケーレ別荘でした。
居住者はスウェーデン生まれ、パリでは有名な医師・アクセル・ムンチ(〜1949年死去)。
彼の著書は世界各国語に翻訳されて、書架に展示されていましたが、
なるほど室内の調度品は時を経ていますが、豪華そのものです。

 お目当ての「青の洞門」は海上も時化ていたため、
観光が取りやめになったのは残念でした。


ポンペイ

 ポンペイはあまりにも有名ですが、百聞は一見にしかずで、
2000年前の街は、それにしても生々しく残っています。

 碁盤の目のように区切られた街がすべて石造り。車道を所々さえぎる横断歩道や轍の跡、
パン屋さんの仕事場、飲み屋、男性専用の遊び場もありました。
門構えからして、明らかな金持ちの邸宅は間取りも広く、壁画あり、自家浴場もあって、
2000年前の古代奴隷社会ですが、
人間の暮らしは基本的に現代のそれとあまり変わらなかったように思えます。





マテーラ

 マテーラはナポリから280q東にあり、サッシと呼ばれる洞穴住宅で知られ、
1993年に世界遺産に登録されています。


 ガイドブックにはこう記されています。

サッシの起源は新石器時代(BC5000.)に遡る。
のち、ギリシャ・トルコからイスラム教徒や偶像破壊主義者によって迫害された修道僧達が洞窟に住み着く。
そして、想像を絶する努力によって、縦横に、深く掘り下げて、修道院や教会を建設していった。
 中世には神の国と言われた。峡谷の西側に広がる断崖にも無数の洞穴を穿ち、町が発展していった。
農民や日雇い労働者も集まってきた。」

 私たちは住居の一つに案内されましたが、使われていた当時のまま、よく保存されていました。
家畜は貴重であり、家族の一員として扱われていた様子がよく分かりました。
その名残でしょうか、犬が町の中を闊歩していました。


アルベロベッロ

 アルベロベッロも行きました。

 円錐形のとんがり帽子のような屋根を持ち、キノコのような「トゥリッリ」が密集する町で知られている
アルベロベッロはマテーラから更に東へ70q、アドレア海まで20qのところにあります。

 案内してくれたのは、14年前に観光に来て、この町の魅力にとりつかれ、
現地人と結婚して、子供もある日本人・ラエラ陽子さんでした。

 アルベロベッロとは、美しい木=オリーブの木の意味で、イタリアではこの地域が最大の収穫量を誇っている。
オリーブの木の根っこが浮き上がっているのは地盤が岩盤だからで、樹齢1000年のも珍しくないそうだ。

 この地域は夏は48℃、冬は氷点下まで下がる。この厳しい気候に対処して、
壁の厚さは120pもあって、窓は小さくし、壁は漆喰で塗り固めて、外部の温度を遮断している。
壁が真っ白なのはそのせいであるが、家の中も明るい。暖房は薪で、煮炊きはアーモンドの殻を焚く。
水は屋根から雨水を受け入れて、地下の貯水槽(深さ10b)に貯める。
悩みは家を補修・建て替えするのに、採石量が少なくて、大理石より高く付く。

 したがって、この白壁の家は環境にやさしく、経費も安く付くことでは最高なのだが、
問題は世界遺産にしてもらったけれど、固定資産税はすべて個人負担。
建て替えがたいへんと、彼女は愚痴っていました。
 また、日頃日本語を話す機会が少ないせいか、私たちによくしゃべっていました。
また、彼女一家は家族ぐるみで土産物店を経営しています。


シチリア

 シチリアはこれまでのイメージと大きくかけ離れていて、
古代遺跡、歴史的文化財が豊富で、魅力的な島です。

 歴史年表を紐解くと、ローマ帝国とカルタゴ(北アフリカ・チュニジアにフェニキア人が築いた)が、
地中海・シチリアの覇を争い、凄まじいポエニ戦争(第一次BC265〜第三次BC146)を繰り返した舞台なのです。

 タオルミーナのギリシャ劇場はBC3世紀に建てられ、当時では世界第3の規模を誇ったというのですから驚きです。
ここの「4月9日広場」はブランド店が建ち並んでいて、通りの雰囲気も良く、
観光地に付きものの売り込みもなく、いい感じの町でした。





パレルモ

 パレルモはかってはカルタゴの交易都市で、ポエニ戦争の後、
ローマ帝国の自治都市(BC254)となり、そして、アラブに征服されます。

AD1072年、ノルマンはアラブを駆逐する。以降1180年まで、ノルマン王国の首都として栄えます。
その後も幾たびか支配者が代わって、現在はシチリア州都で、人口70万人です。

 かってのノルマン王宮は州議会に使われています。この王宮の見学は残念ながら、
この日も雨降り。日も暮れていて、公園の林越しに眺めただけでした。

 カテドラル(大聖堂)は1184年に建立。ノルマン様式と言われますが、城のように巨大で、
内部は天井や壁全面にモザイクで、宗教画が描かれていて、見事としか言いようのない建造物でした。


碁と観光

 実質5日間の短い旅でしたが、観光も充分堪能しましたし、
碁は夕食後ホテルの部屋で、飛行機の中や待合いでしっかり打ちました。
おかげで、楽しい思い出いっぱいの旅でした。