南イタリアの遺跡から歴史を読む

  ギリシャ時代 

シチリアで共生と繁栄をもたらした


大ギリシャ(ΜΕΓΑΗ ΕΛΛΑΣ)

地理的に見て、バルカン半島と南イタリアは近い。
BC8世紀頃、ギリシャ人達は主にシチリアの東部沿岸と、
南イタリアのイオニア海沿岸に続々入植し始めた。
その主力になっていたのは、ピタゴラス派だった。

自分たちの政治的且つ文化的な成功を
ギリシャの貴族達は大ギリシャとして、自慢した。

北限はナポリ・ポンペイ辺りから、南イタリア・シチリア一円に
ギリシャ哲学に裏付けられた行政が浸透するという
大ギリシャ時代がおおかた500年間続いた。

BC272年、ローマは、遂に、南イタリアからギリシャを駆逐し、
BC212年、第2ポエム戦争に勝利し、シチリアから抹殺した。

だが、西地中海のギリシャ世界を制覇した
ローマはその文明の虜になったのである。







私たちが訪れたタオルミーナ(Toarmina)のギリシャ劇場は
BC4年頃、ギリシャ人によって造営された。
エトナ火山と地中海を借景に印象的な構築物だ。

中でもシラクーサは最強最大の都市であった。

BC6世紀には南部のアグリジェントも建設された。
 南方の神殿の谷・アグリジェント(Agrigento)はBG6世紀頃、
ギリシャ神殿遺跡が散在する古代都市で、当時、30万の人口があったという。
この建設費は南イタリアの各地に散在する
ギリシャ人の大富豪から寄進されたとも。


やがて、民衆と共生し、繁栄をもたらしたギリシャも、
BC212年、第2ポエニ戦争に敗北した後、ローマの支配となる。

第2ポエム戦争のときの挿話がある。
 シラクーサ生まれのギリシャ人75才のアルキメデスは科学と発明の名人で、
「私に立つ場所を与えるなら、地球だって動かそう」と言った。
彼は砂上に図形を書いていて、兵に刺殺されたという。







 思うに、南イタリアの世界文化遺産・アルベロベッロの奇家や
同じく世界遺産マテーラのサッシーという洞穴住宅は遺産と言いながら、
元を正せば、下層階級の貧民窟とでも言えよう。
彼らを追い込んでいたのは(上記南イタリアの)
富裕なギリシャ人に他ならない。

きっと、そうだろう。