登峰造極 deng feng zao ji 極を目指して棋力向上!天まで届け! 高野圭介 識 過去数次の名人教授盃囲碁大会は「碁吉海外活動」参照 |
|||||
---|---|---|---|---|---|
世界を震撼させる事件や天変地異が次々と現れた会期の一週間であった。 アメリカのNY株$777下げ・・・black Monday 9月29日。 メラミン混入牛乳で揺れる中国食の世界。 日本の麻生太郎総理の就任。 こういった激しい環境の変化を他所に、中国・シンセンでは 熱い石の戦いが繰り広げられ、楽しい交流に時は流れた。 第12回名人教授盃 於シンセン大学(掲幕はホテル玄関) |
|||||
北京からの棋友が少なくなっているのが、ちと寂しい。 台風の影響で、何香濤先生はせっかく参会されても、 スイス方式なるが故に、大会参加は断念された。 わが朋友・唐騰さんは所用にて、残念ながら来られなかった。
|
|||||
2008年オリンピック後・中国の世相 |
|||||
黒豆乳奶 | メラミン混入牛乳で揺れる中国食の世界は やはり、牛乳が影を潜めている。 取って代わっているのが、黒豆乳奶=豆乳。 |
||||
ガソリン価格 | 不定だが、6元/㍑=\100.程度。 昔からは何倍にもなっている。 |
||||
国慶節 | 国慶節=建国記念日=10月1日 日本のお盆に当たる。 10月1、2、3日は強制休日とされる。 通常、9月29日~10月5日は7連休。 |
||||
華橋城の1日遊 ゴルフ(高爾夫)は 知者的財富の舞と 注釈がある。 |
華橋城(ナショナル・パークの如き)の見取り図 |
||||
劉 超文女士(通称:Mandy) |
|||||
大会マネージャー | 眉目麗しく情け有り 欧 陽苹 教授 と 黄 慧 教授 お二方には献身的なお世話になった。 謝謝 謝謝 |
||||
日本語の学習 | 劉 紀星教授(シンセン大学・日本語教授) 日本語の学習には独特の蘊蓄がある。 日本語学習に4つのパートがあって、 この中の、ヒアリングを担当されている。 聴力 耳 2 ヒアリング 精読 眼 4 読書 作文 頭 2 作文 会話 口 4 話し方 それが、アラビア語、フランス語、ほか、 世界の各語の人達を一堂で教える 苦労は並み大抵でない由。 |
||||
高野は囲碁大会・第七位入賞・賞金獲得も錦上花を添えた。
|
|||||
恒例の2008年中国名人教授盃囲碁大会が 9月23日から28日まで、シンセン大学で開催された。 私は碁吉会の高野圭介会長と二人で招待され、参加した。 今回で、私は5度目の参加で、成績は常に負け越し、 中国のレベルの高さを肌で感じている。 しかし、今回は初の勝ち越し。 スイス方式の対戦結果は、私はトータル4勝3敗で12位。 高野会長は対戦相手の殆どがベスト8 のプレーヤーで、 4回戦で、3位に入賞した実力者・呉付久シンセン棋院理事長に 打ち勝ったのが大きく、同じ4勝3敗でも、7位であった。 (注:本大会は、スイス方式 先番7.5目コミ出し) 吉野従生 記 |
|||||
大会熱戦譜です。玉石混淆も生きている印。 |
|||||
第1局 23日午前 | 先番 彭秋和・南京大学 vs 高野圭介 |
白中押し勝ち | |||
第2局 23日午後 | 先番 高野圭介 vs 劉彦峰・シンセン大学 |
黒3目半勝ち | |||
第3局 23日夜戦 | 先 任周宇・武漢華中科技大学 vs 高野圭介 |
黒中押し勝ち | |||
第4局 24日午前 | 先 高野圭介 vs 呉付久・シンセン棋院院長 |
黒中押し勝ち | |||
第5局 24日午後 | 先 蔣錫久武漢・華中科技大学 vs 高野圭介 |
白中押し勝ち | |||
第6戦 25日午前 | 先番 高野圭介 vs 党金江・本大会優勝者 |
白中押し勝ち | |||
第7戦 25日午後 | 先番 曽徳昌・原国際中医学院 vs 高野圭介 |
黒中押し勝ち | |||
第3局 23日夜戦 | 先番 宋向東・本大会準優勝 vs 吉野従生 |
黒中押し勝ち | |||
太極拳 私は請われて、 模範演技を3回。 楽しかった。 |
近辺の茘香公園 (Lixiang Park)へ 早朝散策である。 1周30分の広さ。 (一辺一㎞ぐらい) 中央広場では 大掛かりな 太極拳道場だ。 |
||||
大型台風で、国慶節前のシンセンで足止め・・・・一泊。 因台風飛機不能降落。 台風と知っていて、来る方が悪い? そう言わぬばかりの対応・・と言う人が居た。 |
|||||
台風の上空・成層圏から |
台風の雲。飛行機の後部から |
台風を外れた雨雲・機前部から |
台風圏外の雲・機上後部から |
||
すでに秋声 | 空港での第一感は、日本はすでに秋。 小雨そぼ降る肌寒い感じでした。 たちまちケイタイに入った第一報は 神戸サロン閉店という碁会所存続の問題だった。 |