4月1日

モーゼのネボ山から死海に遊ぶ




翌4月1日は
マタバの聖ジョージ教会を見学。

教会内部の床面に
古代パレスチナの地図が、
モザイクで描かれて
いるので有名な
ギリシャ正教の教会だ。


その後、
バスで標高600メートルの
ネボ山へ登る。

旧約聖書のモーゼが終焉を
迎えたといわれる山だ。

山といっても
公園のように管理されており、
入場料もがっちり
支払わなければならない。


ネボ山の上から樹木1本も
生えていないまわりの
禿山を眺める

果てしない禿山。
モーゼの時代から禿山だったのか。
モーゼは彼を信じて
ついてきた民衆に
何を食べさせたのだろう。
しばし感慨にふける。



その後、バスに乗り一気に
海抜-400メートルの死海へ向かう。

死海の対岸はイスラエルだ。
この死海での浮遊体験が
今回の目玉である。
脱衣場で衣服を脱ぎ、
水泳パンツをはき、
ゴーグルをつけて湖へ近づく。

遠くから見ると紺碧の湖に見えたが、
近くで見ると
湖の水は濁って不透明だ。




死海の水

                          高野圭介

水には深海水とか、名水とか、いろいろある。
私は死海の水には格別の興味があった。
それは
皮膚病に効くというのである。
それかあらぬか「死海の泥パック」があった。

水泳禁止といわれる中を私は泳いでみた。
ブレス、ドルフィンも浮力の関係で難しい。

クロールが丸木舟を漕ぐように、スイスイと易しい。

ところが、アテが違った。
息継ぎの口から唇が苦味と辛み、そして
訳の分からん厳しさで、腫れ上がり、しびれてしまって、
あと、数時間なかなか元に戻らなかったのである。


土産に、持って帰った死海の水に、
大勢の方々が
どれだけ顔を歪めたことか!!



死海の水を中国の棋友・唐騰さんが
北京で、皆さまに披露しました。

「死海の水は周りの人に飲ませました。
65度の白酒よりきつくて、なかなか
飲めるものでないという評判でした。」




恐る恐る水の中へ入る。

ごつごつと沢山の大きな石ころが
足に当たって歩きにくい。

何でこんなに石ころが多いんだと
腹がたって腰を曲げて
石ころを拾い上げる。

つかみあげると
何と大きな塩の塊だった。


大波小波があってバランスをとるのが案外難しい。

あとで気づいたが、
不用意にメガネをかけたまま、海に入っていた。
海中に落とす可能性が充分あったわけで、
そうなると大パニックになるところだった。
(松本)

右側で高野さん、
悠然と(?)新聞を広げて浮遊。


塩分30%の湖水に、
溶け込めない塩が
湖底に沈んでいるのだ。

浮力のためフラフラと水中を歩いて
ヘソのところまで湖水へ入る。

恐る恐る湖に仰向けになる。
体がぷっかりと浮かぶ。
首を直角に持ち上げて
あたりを見回す。

近くで浮いていたツアー客が
手に持った新聞を手渡してくれる。


仰向けのまま、
両手を挙げて新聞を読むふりをする。
風が少し吹いて、体が不安定になり、
ひっくり返りそうになる。

新聞をツアー客へ返し、
うつぶせになって首をもちあげる。

湖の水が少しずつ流れているようだ。
体がはじめの位置から
大分移動している。岸から次第に
離れていくような気がする。



私は再び仰向けになり、
背泳ぎの要領で
手足を動かし岸へ戻る。
わずか10分くらいの
浮遊体験だったが、
貴重な体験をした。

脱衣場で体を洗い、服を着る。
死海近くのレストランで
昼飯を取り、
ぺトラのホテルへ向かう。