須磨海岸のボートこと始め-須磨楽水会-

分かり易く紹介された「楽水会」の沿革



                                     【ローイング編集部】より転載

                                  
須磨楽水会の活動概要は以下のWeb参照
                                    http://gokichikai.jp/yaht-ba-beseil201605.html


 須磨楽水会
須磨海岸で初めて公開乗艇会が催されたのは1930(昭和5)年、地元の名士・西光嘉左衛門
(旧制第一神戸中(現・神戸高)OB)が設立した 「須磨楽水会」のこけら落としの時でした。

「楽水」の由来は嘉左衛門が座右の銘としていた故事「知者楽水」からです。



嘉左衛門の揮毫

  西光嘉左衛門  
嘉左衛門は「人間の剛健不屈の精神鍛錬は端艇趣味の普及徹底にあり」という想いから、
「須磨楽水会」の設備と備品をすべて自費で用意しました。



具体的には、自宅に開業した西光造船所でヨット、シングルスカル、フィックス艇、
シェルフォア艇など33艇を建造し、 若宮町六軒浜(現・須磨ヨットハーバー)と
国道2号線天神太鼓橋の高架下の2カ所に艇庫を設け、それらを地域に開放しました。

またクラブメンバーは住友家須磨別邸(現・須磨海浜公園)前の浜辺沿いの海で
練習を重ねて、滋賀県瀬田川での関西選手権へ出漕していました。

 村上雅一挿話  
横浜セーリング倶楽部、湘南ヨット倶楽部創設が須磨楽水会創設
(S.5年)から4~6年後。京商漕艇クラブ設立者が
1930年秋~1931年に「帆走倶楽部」「日本ヨット倶楽部」を作っている。

 それぞれの倶楽部創設が須磨楽水会創設と時代が重なるのも
微妙に社会的背景が窺えるようで面白い。

 戦中戦後  
太平洋戦争の空襲を免れた艇はかつて嘉左衛門の勤務先だった国鉄
(現・JR西日本)や母校の旧制第一神戸中など縁の深い団体、 西須磨小や
市立神戸工業高(現市立科学技術高)など地元の学校へ引き継がれました。



 倉庫全焼  
一方、
「須磨楽水会から艇を譲り受けた団体は、須磨海岸でボート競技を発展させて
いきましたが、 1984(昭和59)年に不審火で当時の共同艇庫が全焼しました。

これがきっかけとなってほとんどの団体は移転し、
須磨海岸からボート競技の姿は消えてしまいました。

 再建・又火災


須磨海岸で再びボートの姿が見えたのは2009(平成21)年でした。
日本でもマスターズ大会が根付いたことから、須磨高OBが中心となって
倉庫を改築して「須磨ローイングクラブ」を設立したことがきっかけでした。

それもつかの間、2011(平成23)年11月に隣接する倉庫から出火・延焼し、
再び施設が全焼してしまいました。

須磨楽水会  
須磨海岸は景観保護の対象地区だったため艇庫再建計画はなかなか進展しませんでしたが、
須磨海岸でのボートの歴史などが認められ2015(平成27)年6月に艇庫再建が実現しました。



一方、戦後の須磨楽水会はヨットクラブとして再開し、
現在も須磨ヨットハーバーを拠点に活動しています。

 
神戸市須磨海岸で艇庫再建記念レガッタ開催   神戸市須磨海岸で艇庫再建記念レガッタ開催

左:現存する創始者・西光嘉左エ門氏の銅像(1930(昭和5)年 大阪鐵道倶楽部端艇部有志寄贈)

右上:須磨楽水会の乗艇練習模様(1933(昭和8)年)/ 右下:練習用タンク(1996(平成8)年撤去)。