終戦後の転換期・・・縮小の一途 戦後~1960年頃まで 西光博司 記 |
|
活動を再開 | 太平洋戦争が終わると「須磨楽水会」は1946(昭和21)年に活動を再開。 しかし戦災に遭わずそのままで使用できた艇はごく僅かで、 12 フィートのディンギー3 艇と競技用ボート4 艇の計7 艇だけでした。 ディンギー 艇 |
普及の思い | 故障しているものの修理すれば使うことができた競技用ボートは、 普及の思いを込めて、会員が勤務していた国鉄鷹取工場や 祖父の母校である旧制第一神戸中などへ譲渡しました。 |
高度経済成長 | 「須磨楽水会」は高度経済成長によって転機を迎えます。 国鉄鷹取駅-西明石駅間で複々線化工事が始まったことで 1957(昭和32)年に第2 艇庫を閉鎖。 |
ボートを譲渡 | 海に近い若宮の第1 艇庫へ所有艇を集約する際、 須磨楽水会ボート部を廃部しました。 地元の西須磨小などや、第2 艇庫を間借りしていた国鉄鷹取工場工機部と 市立神戸工業高(現市立科学技術高)といったボート部に、 競技用ボートを譲渡したのでした。 |