紹興の先斗町を行く・・・・・魯迅の生家は遙か遠くで、行けなかった.

日本では紹興酒で有名であるが、その酒店はあちこちに見られた。
10
年ものの紹興酒をお土産に購入したが非常に美味しかった。


                                         高野圭介


 

泰子さんが「ここは京都の先斗町に似ている」と言った。正確な名前は知らない。


 

ポンポン菓子やさん。続々客が来る。

 


紹興の賢人たちが村人の悩みを聞いて、指導した。




紹興酒のお店に入った。何でも、10年ものが風味も良く、20年30年ともなれば、重くていけないと聞いた。




梁山泊の豪傑が抱えて飲んだという壺。




お土産に、皆で10年ものを買った。



紹興が生んだ文人・魯迅について

        

(1881-1936)中国の文学者、思想家。浙江省出身。本名は周樹人、字(あざな)は予才。
魯迅(Lu Xun)は紹興の人で、 『自己を犠牲に中国を変えようとした男』.

日本は仙台に留学して医学を志したが、のち文学に転じた。
このころ思想的には革命派の立場にたち、清(しん)朝打倒を目ざす光復会にも加入した。
中国左翼作家連盟の中心として各派と激しく論争を展開。

「狂人日記」「阿 Q 正伝」など数々の小説や評論を発表して社会悪の根源をえぐりだした。



「阿 Q 正伝」

物語はIQの低いQちゃんのお話である。

彼は金も家もなく、女性にも縁がなく、字も読めず、容姿も不細工という村では最下層の存在で、
皆から馬鹿にされていた。だが阿Qは非常にプライドが高く、「精神勝利法」と呼ばれる独自の
思考法を持っており、やがて、革命派の趙家略奪に加担したと無実の疑いをかけられて逮捕され、
無知ゆえに筋道立った弁明すらできず哀れ、銃殺されてしまう。


当時の中国社会の病理を痛烈に告発した作品として評価された。特にこの作品を気に入った
毛沢東が談話でしばしば引き合いに出したため、魯迅の名声が高まった。



魯迅の言葉

「人類はお互いに分け隔てることなく、関心をもちあうのが最もいい。しかもその最も平坦な道は、
文芸をもって通じ合うほかないが、惜しむらくは、この道を行く人はまた、あまりにも少ない〉。




 私たちは囲碁を通じて、日中の交流を深めている。魯迅の言葉を実践しているわけだ。