帰去来・・・帰えらなむいざ 、「帰去来兮」を「かへりなむいざ」と訓読したのは菅原道真である。 高野圭介
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この時期のトピックスとして鳥インフルエンザ、尖閣諸島の領土問題が日本では騒がれていたが、 現地での状況は、鳥インフルエンザについては全く騒いでいる様子なく、普段どうりの生活であった。 現地の新聞には尖閣諸島問題を含む阿部政権の政治姿勢に対する報道は為されていたが、 美味しい料理を堪能し、楽しい思い出ができたことに感謝したい。 |
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帰国前の憩いの時、サクランボ狩に誘われた。サクランボは黄色ではなく、真っ赤に熟れて美味しかった。 |
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六然居士・遊有方棋友から陶淵明の「歸去來の辭」(漢文の全文)を戴いた。 私は遊先生を六然先生として、平素から尊敬の念を懐いてご厚誼を戴いている。 帰去来兮辞の本文は四段からなる。一段目は、官を辞して家に帰る決意を述べ、 はやる心で帰路に赴く様を描く。彭沢から故郷の柴桑までは凡そ百里、陶淵明は長江を船で遡った。
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第一段の全文 [白文] 帰去来兮、田園将蕪。 胡不帰。 既自以心為形役。 奚惆悵而独悲。 悟已往之不諫、知来者之可追。 実迷塗其未遠、覚今是而昨非。 舟揺揺以軽颺、風飄飄而吹衣。 問征夫以前路、恨晨光之熹微。 |
[書き下し文] 帰りなんいざ、田園将に蕪(あ)れんとす。 胡(なん)ぞ帰らざる。 既に自ら心を以つて形の役為す。 奚(なん)ぞ惆悵(ちうちやう)として独り悲しまん。 已往の諫められざるを悟り、来者の追ふべきを知る。 実に塗(みち)に迷ふこと其れ未だ遠からず、 今の是にして昨の非なりしを覚とる。 舟は揺揺として以つて軽く颺(あが)り、 風は飄飄(へうへう)として衣を吹く。 征夫に問ふに前路を以つてし、 晨光の熹微なるを恨む。 |
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第四段の書き下し文(和訳) 致し方のないことだ、人間はいつまでも生きていられるわけではない、 どうして心を成り行きに任せないのだ、また何故あたふたとして、どこへ行こうというのだ、 富貴は自分の望むところではない、かといって仙人になれるわけでもない、 よい日を選んで散歩し、杖をたてて草刈りをしたり、土を盛ったりする、 また東の丘に登っては静かにうそぶき、清流に臨んでは詩を賦す、 願わくはこのまま自然の変化に乗じて死んでいきたい、 天命を甘受して楽しむのであれば、何のためらいがあろうものか |
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白 高野圭介 vs 先 遊 有方 |