高野先生には、
特上のお健やかな喜寿を迎えられましたこと、

心よりお喜び申し上げます。

                             杉田明子


今日のこの佳き日を記念して、
七十七手の記念碁を打っていただきました。
 
顧みますと
毎年 春秋に東北から九州までの いずれかの地で
開かれます囲碁大会を主催しています「碁吉会」から、
(199?年)に? 生まれたのが、この教室 「風鈴会」です。

注:末尾に、風鈴会のこと


以来「何よりも碁が好き」と言われる 心優しい先輩諸氏にも
ご指導を頂きながら、
途中何度も
投げ出しそうになりながらも、
今日この佳き日をご一緒出来ましたこと本当に感謝しております。


私もいつの日にか先生に
「初段になったよ」と言っていただける日を夢見て

牛歩 いえ 亀の歩み でも いい・・・・ 少しでも・・・・
前進出来ますよう努力して行きたいと念じております。



風鈴会の命名


1980年頃、たまたまハワイへ行ったとき、

日本人商工会議所(太田会頭)主宰の盛大な碁会がありました。
囲碁倶楽部の御大が稲垣為次郎という方でした。


その他、、数人のメインメンバーが居ました。
会員は2〜30人ほどだったと思います

そのとき、決勝戦で稲垣さまに、1.5目残って、
私は優勝のお土産に、加州米をトランクにいっぱい貰いました。
他の荷物は、入れ物を買って、詰め替えました。

風鈴会はその奥方衆の碁会の名前です。
風鈴会の命名は増淵幸子だったと聞いています。

高野圭介記