初の兵庫県アマ名人を獲得 吉岡章雄自戦記 兵庫県アマ名人戦 決勝戦 互先 吉岡章雄 vs 先番 西村拓実 先番コミ6,5目出し 2010年6月13日 於 神戸市 220手以下略 白中押し勝ち 吉岡章雄 第43回赤旗兵庫県大会 優勝 |
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名人就任 | このたび兵庫県下8会場の予選を勝ち抜いた8名に、 40分切れ負けルールで、トーナメントが催されました。 年齢層も若返っています。 準決勝は足立君という、17才の本格派で、院生修業中。 私の決勝戦の西村君は17才の高校生。ヨミも深い。 来年は、私は両人とも、もう届かないかなと思っています。 |
西村評 死活に問題 |
左上白10は11の一手。黒10ならば白15.黒14白12 黒16から白23まで白良し ともあれ、白54まで、白よし。 |
8月1日の玄遊会の席上、西村師範の手厳しい評があった。 要は、死活が全く読めていない! 黒27.白28がそれ。 黒27のとき、白は38と打って、黒死に。 したがって、黒27は29ケイマしかない。 遡って、黒23は27。白23黒28が相場。 |
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私の反省です。 死活がもう少し分かるようになると、 まだ伸びる余地があると、プラスに受け止めました。 |
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時間問題 | トーナメント中、時間切れに人がありました。 当人曰く 「15目以上残っていたあのに・・・」 相手は明らかに、時間切れ勝ちを狙って打つ方向に切り替えていました。 「盤上より時間が優先する」という規則は、規則は規則というのですが、 私は納得出来ません。 |
高野先生と 私の碁の歩み 4度目の正直 優勝です。 |
もう、20年も前のことです。 守拙会を高野先生が立ち上げて、私も参加していました。。 定石はもとより、序盤から中盤にかけて数え切れないほど 高野先生には厳しく指導して戴きました。 そこそこ打てるようになってから、 高野先生に2子を抜けるのに 2年掛かった記憶があります。 その頃、アメリカのブルーストムソンらと、釜山へ行きました。 船上で、初めて先で打って、勝てました。 その頃、1年間で2目は強くなれたと思います。 |
その後、 またまた高野先生の推薦で、玄遊会に入会しました。 私が「布石辞典」を購入し、片っ端から並べました。 その後いっそう精進し、県名人にも何度も挑戦しましたが、 準優勝3回と、勝ちきれず、縁がないものと諦めていました。 今年も地元中学のPTA会長を引き受けたりして、 余り期待していなかったのですが、運が向いてきました。 |
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2010年7月25日、守拙会で、盛大な祝賀会をしていただきました。 席上、高野先生からお祝いに、中国の景泰藍の碁盤を戴きました。 「遅きに過ぎた」「もっと上を目指し頑張れ!」など たくさんのご声援・励ましを戴きました。 いろいろありがとうございました。 |
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宍粟チーム | 西播磨囲碁大会・団体戦で、宍粟チームは決勝で敗退しましたが、 宍粟囲碁王国として、かってない名声を克ち得ています。 高野先生に、お礼方々お知らせいたします。 |