吾が輩の碁の師匠は高野圭介君である

                                 福岡弘造自戦記

  高野圭介 vs 三子 福岡弘造
 
  2005年7月12日
    於 八重洲いずみサロン
    187手まで、白中押し勝ち


デンさんは
2007年7月16日未明、逝ってしまった。
癌の転移による肝ガンのためでした。
謹んで、冥福を祈ります。





吾が回想記

奴さんとは戦中・戦後、幼稚園・小学校・中学(旧制)・高校・大学と
苦楽を共にした70年来の友人である。

喧嘩でも相撲でも負けるものは無いはずだが、
碁だけは別、何子置いても最後はダメ。

思い起こせば奴さんの碁の歴史は大学入学直後に始まる。
それ迄何でも一緒に行動したのに
吾が輩は山岳部、奴さんは囲碁部(それも奴さんらしく創立)と別れた。

時々吾が下宿に現れては熱心に囲碁部に引き込もうとする。
シブシブその教えに従って並べたのが吾が囲碁史の始めである。

今にして思えばその時に奴さんに負けてなるものかと
 もっと努力すべきであったと悔やんでいるが仕方が無い。

吾が輩が肺ガンを得て、青息吐息であったが、やっと小康を見ている。
今更反省でもないが、原因はタバコかな?と、私は思っている。
体力的に田舎の墓参りを断念したので、良い機会と相見えた次第。

病気の為、奴さんとは3年振りの3子局。
最初は或はと思ったものの、結局途中投了。

ああ乞、先生酷評の程を。




では、お望みとあらば、後学のために・・・

黒は100手ぐらいまで問題なく巧く打っていて、
白は投了寸前・・・ああ・・・


後も、優等生の碁なんだよなぁ



そこで、
様子見、誤魔化し、自棄糞・・・の一手・・・白105。
白105に、107と打てば、白は馬脚を現すのだった。



次に、
左上隅。黒112で、三三にツケの一手。恐らく
手になって、白はお陀仏の道をまっしぐらかな?
でも、分からない。


最後に、黒152。
コウダテをしないで、152とは、少々気合い。
コウダテは、左辺白地の中にも、売るほどあるのに、
これは惜しかった。


でもね、
たったこれだけ、三つだけの問題しかない、
というのは凄い!

おそれ以外は優等生の碁だよ。お見事!