弱い方の西村 イスグルに骨を埋めて |
|||
---|---|---|---|
面白いシステムだ。 滞在中は四人一組で、決まった席ですべての食事を取ることになっている。 最初に座った・・・ 中山典之、西村摩耶子、中田良知、小生・高野圭介の四名がいつも顔を突き合わす。 会話の中身は断片的だが、それらを総合すれば、いつの間にか、 西村摩耶子様の全体像が浮かび上がってきた。 |
|||
ご主人の西村忠一郎さまは たいへんな碁打ちで、 かっては神戸棋壇で、 西村修御大には及ばずとも、 強豪ひしめく四本柱の一角を担っていて、 「強い方の西村」に対して、「弱い方の西村」と 呼ばれていたと聞いた。 中山先生の言葉を借りれば、 西村様はけれんみのない碁で、 じつに魅力的な碁打ちだったと・・ それだけでも、たいしたことだ。 |
|||
チロルへは最初からの唯一の参加者で、 いつでも、どこでも、誰とでも碁を打って、誰知らず、 「和製碁マシーン」という渾名が付いていたという。 その強力な碁打ちが、故郷九州で、「碁吉庵」を作ったこと。 誰かは知らなかったが、碁吉庵なるご縁の深い 料亭があることは風の音に聞いていた。 後で聞いたことだが、 忠一郎様も私の「すざら碁仙」「醍碁味」も 愛読されていた様子で、 いよいよご縁浅からぬことも知った。 1998年に癌の病を得て、たった三月で他界された。 彼の骨をここチロルの山中に 分骨して納められている。 |
|||
岩間滋さんご夫妻も結構常連で、 チロルの旅の牽引車。 ドイツ語を自在に操り、通訳も買って出て、 現地のヨシエ様の右腕であろう。 皆さまの一足先に、 かのドナウとラインに分かれる 分水嶺へご案内いただいた。 そのときの写真である。 |