金同実先生のこと

2014年5月17日夜の奇遇

                                高野圭介


潮州に着いて、2日目、17日の夜のこと。夕食の隣に来られた方と,名刺を交換した。金同実とある。



私はこんな奇遇があるものかと、目を疑ったが紛れもない本人であることが分かった。

 薄儀皇帝  
清国王朝・ラストエンペラーこと、愛新覚羅薄儀皇帝が失脚して
、一族一千人が、中国全国にちりぢりになった。

誰もが住居を探し、名を変え、変装して過去を棄てて生き抜いていた。
その中の一人、金同実一家もその中の一人であった。

愛新覚羅慧生  
終戦後、新聞紙上を賑わした話である。

愛新覚羅慧生(1938年2月26日 - 1957年12月4日頃)は、

および満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の実弟溥傑の長女。

日本で、天城山心中
で死亡した女性として知られている。

全国優勝  
折しも、金同実なる仁が、中国アマ全国大会で優勝した。
隠遁生活を送っている千人の方達は、
この朗報に、一族の誉れとして小躍りして喜んだという。

恰も、終戦後、古橋 廣之進がフジヤマノトビウオとして世界の水泳界に
次々「日本、ここにあり」と日章旗を掲げた。

敗戦直後で日本人の多くが苦しんでいる時期に、
世界記録を連発する古橋は国民的ヒーローであった。

  


右の方が、金同実先生。立ち居振る舞いもノーブルで、さすがと思っていた。

 本大会の審判長  
その後、金同実は中国棋院の審判官として、棋壇のトップにいて、
竿灯歩を進めたものであった。

その方が今,眼前に現れた。
しかも、本大会の審判長として、ここにおられる。
というので、私は身震いするほど感動したものである。