老境をどう生きるか

2019年7月22日





                                  高野圭介


人生一万日


かって学生の頃、私は「人生一万日」と考えていた。
生後30才までの一万日、人生の本番は30から60までで終わり。
後に長寿となり60才以降が加わった。

つまり、刻は金なりでなく、刻は人生なりと。



 今、ラストの一万日、90才以降に足を踏み込もうとしている。

これは人生の幕引きで、去年より今年と如実に年々体力の低下中で、
精神的にも頑固さに苦渋しているのを逃れることは出来ません。




三つの身上

 
この環境にあって、三つのことを身上とした。
一つは楽しく生きること。更に一つは自然体で生きること。
その前提としての健康体です。

楽しく生きるためにはすべてのことに於いて
「おお楽しい!」と感じ、笑顔を絶やさないこと。

楽しくないところからは逃避するしかない。



草萌や座右の銘の自然体  虚石(圭介)

 すなわち、自然体とは 素直で優しい気持ちで、気負いのない自然な態度。
身構えたり先入観を持ったりしない”あるがままの態度”。

熊野古道・伊勢大社吟行ツアーより





健康体は日頃の規則正しい生活から。


 70才の時というからもう20年前のこと、私は糖尿病と宣告され、
従来の生活態度を180度転換させた。
早寝早起き・禁酒禁煙・腹七分目。早朝ラジオ体操・・・。

 昨今の日課は何時間か前倒しして、3時半起床。4時半朝食。
5時50分浜までラジオ体操。7時20分仲間と囲碁対局・9時20分ジム行き。
日中いろいろあって・・・、夕刻は4時過ぎ断酒夕食。7時就寝。



    

 折しも、神戸シルバーカレッジ服部祥子学長との会談後、
学長から著書「生涯人間発達論」をご恵送戴いた。

 文中、成人後期は生から死へと難破してゆく段階にあります。
換言すれば、人生の締めくくりとしての完成期と言えます。

ここに肝要なのは、成人後期は人格的活力として
「あるがままに生きることと死に直面すること」と喝破されています。






あるがままに生きる・・・自然体


 あるがままに生きること・・・それは即私の座右の銘・自然体です。

 死に直面すること・・・それは刻は人生。
つまり、一刻一刻を楽しんで充実した生き方をすること。
そう考えて目一杯生きています。

 従って、死については、安楽死。食の連鎖。亡き友を想う。
死後は亡骸を親族や宗教家に委すぐらいで、
達観しているわけではありませんが、
特に死生観らしいものは持っていません。

 とは言え、体内のあちこちの細胞が束になって死滅減少している様子が
体力の低下の中に客観的に判ります。
こんなのを「死と直面」と言えば言えるのかも知れません。


 

最後に「死の恐怖」について

 古来、達観したと言われる高僧が死に直面して
「死にたくない」と言ったとか、言わなかったとか。

 私は生即死などと唄の文句のように言っているが、
おそらく死の直前は何も思う気力など消滅しているのではと推測します。



服部学長は精神科の医師として、平素から人には生きてある限り
発達していくという老いの意味についての持論を展開されています。
 
曰く 「闊達な棋風の高野さんが90才を目前にするこの時、
昨日無かったものが今日新しく生まれているという
発達の過程にあることを知りました。」 とも。


 私はこの話を直接とても嬉しく伺いましたが、これは老人の一般論が
たまたま、その格好のサンプルであったようにも思います。

果たして「死を見詰めもしない」気楽蜻蛉の私には
先々のことを何も知る由もありません。