あるがままに生きる・・・自然体
あるがままに生きること・・・それは即私の座右の銘・自然体です。
死に直面すること・・・それは刻は人生。
つまり、一刻一刻を楽しんで充実した生き方をすること。
そう考えて目一杯生きています。
従って、死については、安楽死。食の連鎖。亡き友を想う。
死後は亡骸を親族や宗教家に委すぐらいで、
達観しているわけではありませんが、
特に死生観らしいものは持っていません。
とは言え、体内のあちこちの細胞が束になって死滅減少している様子が
体力の低下の中に客観的に判ります。
こんなのを「死と直面」と言えば言えるのかも知れません。
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最後に「死の恐怖」について
人生をしっかり生きる努力をしてこなかった輩は死を怖がる。
今までしっかり生きる努力を怠っていたことを反しもせず、
安易に全ての迷える衆生を救ってくれる極楽往生に
導いてくれるという阿弥陀如来にすがる。
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古来、達観したと言われる高僧が死に直面して
「死にたくない」と言ったとか、言わなかったとか。
私は生即死などと唄の文句のように言っているが、
おそらく死の直前は何も思う気力など消滅しているのではと推測します。
服部学長は精神科の医師として、平素から人には生きてある限り
発達していくという老いの意味についての持論を展開されています。
曰く 「闊達な棋風の高野さんが90才を目前にするこの時、
昨日無かったものが今日新しく生まれているという
発達の過程にあることを知りました。」 とも。
私はこの話を直接とても嬉しく伺いましたが、これは老人の一般論が
たまたま、その格好のサンプルであったようにも思います。
果たして「死を見詰めもしない」気楽蜻蛉の私には
先々のことを何も知る由もありません。
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