三百代言

                                                 高野圭介

 
 嘘の三と八??
この正月、数えで八十才を迎えた。
ふと見たら、高野エッセイが三百番目だった。

え!嘘の三と八??・・・

語呂合わせとは言え、何か見透かされたようで、
自虐的に感心したりして、ボードに向かっている。



三百代言 
 三百番目の言葉・・と、巡っていると、三百代言、八百代言などと浮かんで来た。

三百代言について、二つの解釈とその文例を紹介しよう。

(1)〔明治初期に、資格のない代言人(弁護士)をののしった語から〕もぐりの代言人。
また、弁護士をののしっていう語。

(2)詭弁を弄すること。また、その人。

(3)その具体的な用法として次のような文例があった。

「責任回避の答弁をくりかえす仙谷官房長官の姿は、
法廷で詭弁を弄して得意顔のふてぶてしい三百代言のように見えた。」

詭弁に関する程度 



私の三百代言はせいぜい(2)詭弁に関する程度と心得たが、その所以を考えた。

もう5〜6年前に、碁吉会のホームページを立ち上げたが、
私は主筆として、政治・経済・文化など生臭いことはせいぜい比喩程度で、
本論は「囲碁に関する記述」に絞り、
アマの眼の「受け売りをしない論評」とするものと、
方針を決めた。


面白い現象 
したがって、面白い現象が起きている。

私の観戦記は、2台のパソコンで、観戦しながら、
一方で、棋譜を打ち込みながら、生の観戦記を書いていく。
誰の真似もしないアマの眼の臨場感がそのまま再現されていく。
対局完了と同時に、HPにアップしてしまう。

例えば、2010年8月27日於日本棋院の
坂井碁聖誕生のラスト一局の観戦記である。



冴える! ウルトラCの連発・・・坂井碁聖誕生



白番 坂井秀至 vs  黒番 碁聖  張 栩
              黒番 6.5目コミ出し

白72(ウルトラC)をどれほど強烈か!解説しない。オカシイ。」


 正確な観戦記」を待つ
これについて、読者からの嬉しい反応があった。

「昨日配達された”週間 碁”でも坂井さんの72手目について
何の解説ものっていませんでした。
正確な観戦記は、後日を待たなければならないのでしょうか。」

嬉しい・・と思った途端、
「正確な観戦記」を待つ・・と言うのに、私は苦笑した。
±×=≠??あはははっっっh

自分の独自の世界を切り開いて行くHPである。
少々の可否は甘んじなければならないだろう。

三百代言の詭弁
一つ事を聞けば、碁ならば何だろうと考え、碁の本質を論じたくなる。
はたまた、
この話は碁ではどういう局面かと想像したり、碁の手法、機微に触れて考える。
すべては碁に帰趨する。



私は年に320局ぐらいしか打っていない。
しかし、毎日、碁のことを忘れたことはない。
したがって、HPの題材に苦労したことは一日とてない。
詭弁を弄すればこそである。

お陰様で、昨今80000人目の訪問者を迎え、
毎月1000人の来訪者が後を絶たない現状が主筆としての私の喜びである。

あ、気がついた。こういう書き方が、三百代言?