俳句文語体論

Classical Japanese language


                  
      高野圭介(虚石)

 
俳句の口語体


 私の俳句は21995年に品川鈴子師から手ほどきを受けたものである。
そのとき「口語体の俳句はそれはそれ良いですから、文語体を混ぜないで、
終始口語体を通すこと」
そのように指示された。

 私はその後、口語体で通してきた。  ところが、である。

淡水句会で「中杉隆世師は淡水句会では、俳句は文語体が然るべしで、
口語体は不可!」と諭されていると。


 私の文語体の知識は中学生に学んだ程度で覚束ない。嗚呼如何せん。




 
ドイツ語の

口語体と
文語体

 

かって第九の合唱指導に、井上道義指揮者は最もユニークだった。
口語体で歌えと指導される。

まだベルリンの壁が厳しかった頃、東欧諸国の囲碁ツアーに参加して
東ベルリンを訪れた。そのとき、口語体の第九の発音のお勉強に楽譜を見せた。

まずベートーベンが通じない。「べ」を強く、ベートフンと言う。
Deine Zauber binden wieder was die Mode ・・・・と
シラーの詩の発音の勉強をお願いした。
Alle menschen werden Bruder の Bruder は
習った通り r をおもいっきり舌を巻いて震わす。

er は アー が口語体、エル は文語体で、我々が第九で歌うドイツ語は
「セッシャハ ゴザリマスル」式の昔の武士の話し言葉であることが分かった。。



この口語体のドイツ語で歌えば、英語に近くなるし、
文語体のドイツ語なら歌そのものがかしこまってくる。


矢張り、口語体と文語体ではニュアンスが違ってくる。


英語にも口語体と文語体がある。

 
俳句の文語体


俳句にも無季俳句もあるし、川柳まがいの俳句もある。
最近はAIの詠んだ俳句も散見される時代となった。
格調高く俳句に対峙するには現在の中学生時代の知識から、
九十の手習いとして、改めて「文語体」の基礎学力に挑戦せねばならない。


先ずは文語体自体の学習から始めよう。