碁のおもしろさ

真剣なガチンコ対局が一番楽しい


 


                                         高野圭介



「囲碁観発表会」

1999年の春,碁吉会姫路大会のことである。宴会の後「囲碁観発表会」と称して,
全員が碁のことを語り合った。

(囲碁観発表会 碁を打つ人はどなたも自分の囲碁観を持っている。
しかも、 誰にも侵されない、自分を支えている自分だけの囲碁観です )


岐阜の有我さんが「私は碁さえ打っておれば楽しい」と発言。
西宮の谷口さんが「へー、私は碁は勝たないと面白くもない」と。
加西の上坂さんが「碁はどちらかが勝つ。勝たないと面白くもなんともないとは?ほほう・・・」

こんなシーンがあった。懐かしい。

碁に対する思いは千差万別で、それぞれの囲碁観があって面白い。
人の真似をすることもない。自分だけのものは大事にしなければ。

 

「碁吉会十番戦」

現在,将碁友の会で「碁吉会十番戦」のリーグ戦で碁を打っている。
3段から7段ぐらいまでのメンバー8人が競うのだが、盥の中の水だから溢れることはない。
逆に言うと,誰かが上がったら,誰かが下がる。いきおい角を突き合わすガチンコ勝負となる。

先だって,2018年7月の良き日、メンバーの一人,北村冨一さん
世界アマ囲碁選手権戦大分県大会の決勝戦で運あらず勝ちを譲り、惜しくも2位となられました。
勝って居れば7月20日の中央大会の東京行のところでした。

かく申す私も2018年5月、第21回中国名人教授厦門囲碁愉快的比賽
最年長で連続四位入賞しています。



この嬉しい成果は、平素から皆様との対局で、研鑽しているお陰と喜んでいいのではないでしょうか。



碁の何が面白いのだろう

碁はゲームの中の王様といわれるが,いったい、碁の何が面白いのだろう
それを探ってみましょう。



碁という幽玄の世界の哲理を掌にのせて、「これが碁じゃ!」と見せることは不可能であるが、
「碁とはどう言うものかと考え、何かを掴んだ時、一皮剥ける」と喝破したのは故小山靖男九段である。

また、秀行さんが「俺は碁のことが何も分かっとらん」と喝破したことは衆知のことである。

碁に限らず,闘うには気合いが絶対である。かって、宮本直毅九段が大相撲を欠かさず観に行く。
それは「気合いを戴きに行くのです」とのことでした。

もし、神様と碁を打ったら、われわれの思想にない平素知らない石の筋形で
「弱そうに見えて桁違いの碁で、人間の石がずれたり、ゆれたりして碁にならないかも知れません。



ここに、碁の面白さを分析てみると、



1.碁の真理は棋理である。棋理が碁を支配している。
棋理には一つの真理があって、またその全く矛盾する逆の真理がある。
その相受け容れられない二つの真理が厳然として盤上に両立している。
つまり、逆もまた真なりだ。碁はこの二律背反の世界。

2.棋理を超えるものに気合いがある。気合いの迸るところ理外の理が支配することもある。

3.真剣に打って,勝ちを得る。その極限に立った研ぎ澄ました精神力と
日頃の修練の賜物で、最後まで打ち切ると言うこと。

4.お互い負けたくない棋友が居ること。この碁の仲間が群れを成して、
お互い切磋琢磨している姿が盤上に具現する。
 
5.勝負だから勝負は時の常。 とはいえ、
勝てば欣然。相手の長所に感動し,負けても平然。挫けず,次のチャンスを窺う。




自分の碁を創っていく

「碁吉会十番戦」の楽しさは、これら棋理の真髄に立って,
「あくまで碁の核心を追求し道を拓き、自分の碁を創っていく」ことに
尽きるのではないでしょうか。