碁の才能とその開花




より早く、より深く、より正確に


                                            高野圭介

 西村修アマ
先日、結城聡先生のNHK杯祝賀会の席上のことである。
たまたま隣席の西村修さんとの会話。

「西村さんは盤上を一瞥して、手どころと手順がスーッと分かるんやろな」
「そうや、だいたいその通りでっせ」

西村天才は何か思うことがあってか、プロの道を選ばなかった。
でも、天才の言葉はだいたい推測していたとおりだった。
 
 土田正光プロ  
かって、
土田正光退役棋士は名門・木谷門下であったが、突如として退役された。
ある日、岐阜でゴルフをしたことがある。そのときの会話。



「私の居た木谷門下に、石田、大竹、武宮などという天才が入ってきた。
私も幼い頃、神童と謳われ、少年時代から碁も強かったが、
この天才たちには勝てないとすぐ分かって、
天下を取るという棋士生活の意味が無くなったので、即、引退した。」

土田天才は自分より更に強烈な天才を見抜いた。

 碁の才能 
碁の才能って何か?

人も羨む燦めく才能はいったい何だろうか?
人は道に於いて賢し、といわれている。
美空ひばりの唄。誰も真似が出来ない。井山裕太の碁も然り。

それぞれの道に於いて、才能の開花した人たちはいったいどうなんだろう。

中には天童長じて只の人となってしまうこともあれば、
天才も努力無くしては成就しないとも言われる。
天賦の才に磨きを掛けた姿でなければ、認められる足跡とはならない。

燦めく天才たち
天才はものの本質を見抜く力が備わっていて、
記憶力が抜群で人後に落ちない。
加えて、横溢した精神力でやる気に満ちている。

その人が幸運に恵まれた環境で、しかるべき道のど真ん中を
しかるべき手順で努力して歩むとき、
すべての歯車が噛み合ってきて、一つの成果となってくる。

私は一過性のこの世に開花した燦めく天才たちを垣間見ている。