もののあわれ 今の現世に表れたもののあわれの世界 高野圭介 |
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トマト | 梅雨明け間近かという早朝、須磨の浜での、もののあわれ話である。 手塩にかけて育てた我が子を交通事故で奪われた悔しさにも似ている。 トマトが可憐であればあるほど、無常観的な哀愁を湛えて語られる。
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野バラ | あわれ、トマト・・・と思っている内に、 ふと、「野薔薇」が口をついて出てきた。
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野バラの回顧 | 余分のことであるが、「野バラ」について、チロルでのことである。 風呂の中でベートーベンの第九♪♪を歌っていた高野さんの前に 別のドイツ美人が入ってきた。 よく見ると、今さっきサウナ風呂で、ツタンカーメンが横たわっているように、 風にそよぐ葦のすっぽんぽんのままのご婦人だった。 二人で第九を唱和したという。 その夜、碁を打っているとき、その風呂友達の彼女が現れて、 高野さんと二人で 「野薔薇・Heiden roeslein」の合唱が始まった。 「Sah ein knab ein Roeslein stehn ♪♪ ・・・童は見たり野中の薔薇♪♪・・・ Roeslein auf der Heiden♪♪」 歌が終わって、 彼女の差し出した名刺には「Heide Krantz」の名があった。 彼女はチェロの名手だったのである。 塩沢孝子 記 |
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もののあわれ 嗚呼 |
野中の薔薇に扮した少女が健気にも似た無言の抵抗 「手折りて往かん 野なかの薔薇 手折らば手折れ 思出ぐさに 君を刺さん」 ここに平安朝のもののあわれを感じて、感傷的になったものだ。 上からヨンでも下からヨンでもトマト、たかがトマトなどとという勿れ。 育成者にとっては紅顔の美少女なのである。 その生育の毎日の様子が楽しみで、手を入れていた。 今はただ、怒りと共に、しみじみとした情趣という もののあわれの中に、彼はひとり佇んでいるのでは。 |