音痴の歌

                                      高野圭介

音痴とは  
世に音痴という。音痴とは、音に対して感覚が鈍い人を指す言葉であり、
とりわけ歌唱に必要な能力が劣る人を指す言葉である。
自覚している場合があるが、やはり他人に指摘されないと分からない場合も見られる。
どうもそのようなことらしい。

「第九:フロイデ」
私が自分で音痴ではないか?と自覚を持ったのは小学5年の音楽の時間。
♪狭霧消ゆるミナトエの・・♪と、気分良く歌っているとき、
何となく自分だけ突出しているところがある。それがどうにも治らない。

ははーーーん、 ひょっとして,音感が怪しい?と疑問を持ち始めた。



 仕方ない。
それでは一つだけ歌える歌を作ろうと、選んだのが「第九:フロイデ」である。
 その次第は以前のエッセイ「第九」に譲ることにしよう。

「サンタルチア」 
実は,もう一つある。「サンタルチア」である。
サンタルチアにはいろいろあって「サンタルチア・ルンタナ」もそうだが、
イタリア民謡で、テノールで朗々と歌うのだ。



碁吉会のチュニジアツアーで、アイルアン世界遺跡の野外円形劇場へ行った。
私は円形のど真ん中に立って、朗々と「サンタルチア」を歌い上げました。

すると、どうでしょう・・・
イタリア人が私に代わってテノールの「サンタルチア」を朗々と歌い出しました。
「おまえのはろうろうでなく、うろうろサンタルチア。よく聞いておけ」と言わんばかり。

それでもう、音痴の歌は卒業となった次第。


因みに「サンタルチア」についていえば、カリブ海のクルージング。
ベネチュア出航・エーゲ海のクルージングのときも
最後の宴会の締めは「サンタルチア」であった。



歌詞と共に 
歌えなくとも歌は歌詞で楽しめる。
「昴」とか、「花」とか、心が引き締まり、あるいは温かくなる。

先だって、淡路の洲本城で戴いたCDがある。
題して「心つなぐ詩」:命をつなぐ、又会おう、など生と死を繋ぐ歌4曲。
生きることは死ぬことの哲学を情感を以て易しく伝える。
この歌が毎日、淡路の電波に乗っていると聞いた。