早口言葉「Peter Piper」


異質のアメリカ文化に驚く



                                                          高野圭介


Mark Okada

アメリカの文化


もう40年以上というから1970年代の頃、1ドル/360円時代の話だ。
私は桑港棋院を独り訪ねて知り合った
Mark Okada とツーカーの仲となった。

 
Mark Okada 
浮世絵コレクション



 
Mark はカリフルニア大学卒 Botany の phd.
サンフランシスコ博物館職員となった。囲碁将棋も高段者。
後に、IGS(パンダネット)を立ち上げ、ネット碁の先鞭をつけた。
日本通で、 
浮世絵コレクションマークの所産。

マークと一ヶ月単位で日米の家庭に逗留し合い、私の三人の子どもたちも
それぞれが中学一年の夏休みにはひと夏アメリカ生活を過ごした。



その間、アメリカの文化がどんどん生のままで私の家庭に浸透してきた。
例えば、金髪の白人にはコンプレックスが若干でもあったものが
一切吹っ飛んでしまって、裸の付き合いとなっていった。

自由とは


アメリカは自由の国だ。

自由って、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことである。
例えば、自由は拘束に対する自由の特権とすれば、何でも良いとばかりでは無い。
やはり、ある規範の中の自由という権利でもある。

カッターシャツ
ロスアンジェルスの
Bruce Thomson の妹Barbara の結婚式で、
ロスアンジェルス沖合のSt.Catharina に招待されたときのことである。



縦縞の入ったカッターシャツを着ていたら、無地でないといけないという。
但し、色は赤でも黒でも、何色でもよい。・・・
・???
これがアメリカ文化で、理由なんぞ分かろう筈は無い。

テニスの服装
サンフランシスコの
Lloyd Saxton の家に投宿していたとき、テニスに誘われた。

奥様の
Nancy は「主人の許可を得てから、ラケットをお使い下さい」と言う。



Mark Okadaに、服装は襟付きシャツですか?と、聞いたら、
ほほう、日本では燕尾服にシルクハットでしますか?と、皮肉られた。
何でも良いということだった。

Peter Piper
私の帰国前夜、 Farewell party を催して戴いた。十数人集まった。

とあるフランス料理レストランで、興に乗ってきたとき、
私が
「Peter Piper」を学んで、しゃべれると聞いて、
誰かが早口言葉
「Peter Piperをしゃべり出した。
それが全員がしゃべり出し、音楽のようにレストランを谺した。

マスターから注意され、子どものようにシュンと鎮まったのもほほ笑ましい光景だった。



“ Peter Piper picked a peck of pickled peppers.
A peck of pickled peppers Peter Piper picked. 
If Peter Piper picked a peck of pickled peppers, 
Where's the peck of pickled peppers that Peter Piper picked? ”